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献花 [歩景]





信州 飯山  秋の寺巡り  その十




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〔01〕











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〔02〕












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〔03〕












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〔04〕



  七、 浄土宗 「忠恩寺」 (供花編)



この日最後の目的としていた寺院に着きました。
九ヶ寺並ぶ山懐の南端にあるこの寺院、
南中を過ぎてもしばらくの間は十分太陽の陽が当たると読み、
南端のこちらの寺院を最後の訪問とすることとしました。
その点は実はしっかりと読んでいたのです。

この寺院にも以前訪れていたわけですが、
こちらには好きな墓地があるのです。
この日ここ飯山を訪れた目的の一つにはこの墓地を訪れること、
秋の陽差す墓地を頭の中に描いていたのです。
さて、この日もその墓地のある寺院へと足を踏み入れます。

具合の良い陽差し降りそそぐ墓地を目にすれば、
心もどかしく墓地へとつづく道へと足早に切れ込みます。
その曲がり角でまず一枚、
献花台の石に横たう献花を撮りました。
こうした場面では判を押したように写真を撮ります。

そして墓地で献花を撮ります。
その心情は、

献花、
仏花、
菊花、
墓地、

自己満足の域を脱しませんが、
こうした世界が好きなのです。
ただそれだけです。









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盗撮 [歩景]





信州 飯山  秋の寺巡り  その九




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    六、 浄土真宗 「称念寺」


北端の目的寺院から折り返し、
南端から二つ目の寺院まで歩いてきました。
こちらの寺院に小さな庭は紅葉が美しく、
前に訪れた時も訪その美しさを堪能させていただいた寺院です。



    *



寺巡りに歩けばどうしても外の空間にばかり目が行きますが、
この寺院では内なる空間に目が行きました。

寺院の門戸は誰にでも開かれたもので、
その門を叩いた者を拒んではいけないと以前お寺さんから聞いたことがありますが、
やはりその内なる空間にカメラを向けるのは少し気が引けます。
建物の中に人の気配はなく、
一々声を掛けて許しを得て撮るほど技術的にしっかりとした撮影ではないので、
一枚だけ失礼して写真を撮らせて頂きました。



    *



ブログを始めた頃はその新しい世界に毎日更新するのが楽しみでした。
けれどもしばらくするとその毎日更新も苦痛となり、
次第に更新の感覚も随分空くようになりました。
本記事において毎日更新を久方ぶりに宣言いたしましたがやはり辛いですね。
そこで今日はちょっと一休み、一枚きりの写真で記事を更新します。











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祭場 [歩景]





信州 飯山  秋の寺巡り  その八




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〔01〕


ここは伊勢神社と神社の前にある共有の空間、
ここが境内となるのかどうかはわかりません。
それでも年に何度かの祭礼には、
地元の人が集まる空間のように思われます。
何故そう思うのかと言うと、
この写真にある青いシートに包まれて円錐形の物体から推測するのであります。
この物体は小正月に行われるさいのかみで燃やすもの、
雪国では雪が降る前に作っておきシートを掛けておくところが方々で見受けられます。
雪が地上を覆ってしまうとこうした準備も何かと不便なので、
きっとこうして秋の内に準備をするのだと思います。
小正月には無病息災を祈り火を放たれ燃え上がります。












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〔02〕


大聖寺からの帰り道、本光寺を過ぎて再びこの広場にやって来ました。
往きは背中に太陽の日を受けて歩いていましたが、
帰りは太陽に向かって歩きますので、
自然に逆光で景色を見ることになります。
往きには気づかなかった光景に出会います。
杉木立の隙間から秋の日差しが漏れ差し込みます。
その向こうにある墓地は落ち葉焚きの煙に包まれています。
こうした光景は普段私の写真感覚では撮ることのない情景、
写真目線ではなく素直な感覚で撮った一枚です。












飯山19.jpg
〔03〕


この空間に通じる参道には、
このような裸電球が疎らな感覚でぶら下がっています。
こうした裸電球が点されても、
きっと心許ない明るさだと思いますが、
祭礼の夜には灯され人々を導くのでしょう。
心許ない灯りの点った光景は何とも裏寂しい情景を思い描かせるのですが、
それは主役でもなく、そして名脇役でもない、
そんな電灯を私なりに写真の主役に仕立ててみました。



   五、 「伊勢神社」、「琴平大社」



更に往きに通った道を戻ります。
ここは伊勢神社と琴平大社の二社が建ち並んでいますが、
琴平大社は人を近付かせない気配が漂い私もその気配に勝てず、
その祠に通じる階段に足を踏み入れることはありませんでした。

ここで撮った三枚の写真ですが、
写真〔01〕は往きに北向きに太陽を背に、
写真〔02〕は帰りに南へ太陽に向かい撮りました。
写真〔03〕は往きに見つけていた被写体でしたが、
太陽に向かって撮ろうと思ったので帰り道での撮影です。


それにしても随分広角側の感覚が鈍っています。
初めて一眼レフを持ったのは今から三十年ほど前、
標準レンズの次に買ったのは24ミリの広角レンズ。
望遠レンズは高く手が出なかったのが決定的な理由で、
自分には広角レンズを使いこなす事が出来るという何の根拠もない自信の上、
28ミリではなく24ミリを買いました。
当時は自分にとっての標準レンズは24ミリとさえ思うほど、
標準レンズを放り出して24ミリ一本で良く写真を撮りました。
ですから多少は広角レンズは得意だという自負もありました。
やがて180ミリ、300ミリと望遠レンズを手に入れると
望遠レンズの虜になりました。
そして今のデジタル機では単焦点レンズを持たず、
広角28ミリのレンズはズームとして持ち合わせているだけ、
おまけで広角域を使うことが出来るという感覚には多少違和感を持っているのですが、
感覚が鈍ったのは私自身が原因だとよく自覚しています。

こうした出来の悪い写真ですが、
このシリーズでは寺巡りの全容を見ていただく趣旨でご覧いただいています。
それは私の写真よりも私の感情を見て頂きたいとも思うのです。
このシリーズでは記事全体を通して見ていただけると幸いです。













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落葉 [歩景]





信州 飯山  秋の寺巡り  その七




飯山16.jpg
〔01〕


ここは妙専寺の境内、
落ち葉焚きをしていまいた。
辺り一帯その煙に包み込まれていました。
その煙の中からは子供のはしゃぐ声が聞こえてきます。
煙の中を歩いて行きますと大人と子供が一緒になり落ち葉を集め焚いています。
こうして落ち葉焚きの煙に包まれるのは何年ぶりでしょうか、
思わず昔歌った歌を口ずさんでしまいました。
お手伝いをした子供にはおやつの焼き芋が与えられていて、
ほのぼのとした情景を見ていると心が和みました。
久し振りに見た賑やかな落ち葉焚き、
これもまたこの日であった秋の情景の一つでした。












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〔02〕


屋根の上に降り積もった落ち葉。
雪止め金具で堰き止められ地上に辿り着くことが出来なかった葉、
この屋根の上で朽ちるのか。
この後ただひたすらには秋の風を待つだけ。












飯山B08.jpg
〔03〕


落ち葉を踏みしめ歩きます。
往くには気付かなかった道の光景、
帰りは太陽に向かう道、
私は一人この細い道を歩いていきます。



   五、  「妙専寺」、「本光寺」


この日目指した北端の目的地に達した後、
来た道を引き返し南端の目的地に向かい歩き始めました。
この山間に建ち並ぶ寺院は多くの木々に囲まれているので、
どこもかしこも落ち葉で埋もれています。
秋晴れの土曜日、
あちらこちらで落ち葉が焚かれ、
この日私はその煙に包まれながら歩きました。
落ち葉焚きの煙が私の感情を揺さぶります。
この日の寺巡りの主役は「落ち葉」と「煙」でした。













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水盤 [歩景]





信州 飯山 秋の寺巡り その六




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〔01〕


この日何故だか心が浮かれていました。
いつものように心が平常でなく浮ついていて、
それが運ぶ足に表れていることに自分でも気付いていました。
そうしたときの私の体が発する音はざわめきであり、
無駄な音を発しているのです。
神社仏閣の境内では、
基本的に無駄に話をしたり、
不必要な音を立てないよう普段心掛けているので、
この日は自分の素行が良くないと感じていました。
自分の行動を改めなければならないと心を静めようとしますが、
好天に恵まれ目にする光景の多くが被写体となるような気がしてしまい、
それらを写真に撮る絶好の機会を逃してはいけないという思いが募り、
その心が素行に表れてしまったのです


何せこうして生活圏から離れての撮影のための時間は久し振りの事、
久し振りに味わう開放感に心が揺れ動いたのが真の原因かもしれません。












飯山13.jpg
〔02〕












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〔03〕


   四、 曹洞宗 「大聖寺」


銀杏の大木を前にしても写真に撮ることが出来ませんでしたが、
こうして枝から離れた落ち葉であればまだ何とか写真に撮ることができます。
水盤に落ちた葉を撮影しましたが、
やはり浮き立った心で撮った写真は、
どことなくいつもの自分の写真と少し違う気がするのは気のせいでしょうか。



    *



折しもこの日飯山は市議会議員選挙の最終日で、
選挙カーが市内を走り回っていました。
最終日ということでどの陣営も熱のこもった声がスピーカーから流れてきます。
狭い土地で私のいる山懐にはその声が良く響き渡ります。
一人心を静めようと思い目と心を被写体に集中させますが、
耳だけはどうしてもそちらの方に傾いてしまいます。
それでも被写体を見つけて撮影に入りますとそれほど気にはならず障害にもなりません。

ただ、おもしろいのは田舎町の選挙故、
各候補の全てのウグイス嬢が玄人ではなく、
中には素人ウグイス嬢もいて、
また、時折候補者がマイクを持ち弁を奮うのですが、
その声、話し方などが辿々しく垢抜けません。
いかにも田舎らしく緩やかで、
ほのぼのとした雰囲気すら感じてしまうのでした。


秋の暖かな日差しに囲まれて、
選挙戦の賑やかな声を聞きながら寺を巡り写真を撮る。
それはそれで味わい深い秋のひとときとなりました。













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温感 [歩景]





信州 飯山  秋の寺巡り  その五




飯山09.jpg
〔01〕












飯山10.jpg
〔02〕












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〔03〕












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〔04〕



   四、 曹洞宗 「大聖寺」 


飯山、秋の寺巡りは一番北の外れにある「大聖寺」に辿り着きました。
この寺院にも大きな銀杏の木がありますが、
少し色付きも盛りを過ぎ既に葉が落ちていました。
紅葉した木々を写真に撮るのは苦手で、
ここでもその銀杏の木など撮ろうかと思いましたが、
どう撮って良いのかわからず結局諦めました。

春に飯山へ来たときは強い日差しではなく通り過ぎてしまったお堂ですが、
この日は秋の日差しが強く差し込み柵の影がお堂の中に落ちていました。
こうした空間に落ちる光と影、
昔地元の寺院の仁王門で同じような写真を撮った事が切っ掛けで、
こうしたところで良く写真を撮るようになりました。
その時は雪に埋もれた冬の二月、
冷え込んだその仁王門に落ちた光と影は凍てつき冷え冷えとしていました。
その冷たい感覚は、勿論実際にその空間に身を置いたからそう感じたのですが、
リバーサルフィルムに写し込まれた光と影も確かに冷たい色をしていて、
そしてその空気も冷たく写っていました。

この日飯山で出会ったこの光と影は、
まだ暖かさがあると感じるのはそうした過去の経験から感じることでしょうか。













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