水盤 [歩景]
信州 飯山 秋の寺巡り その六
〔01〕
この日何故だか心が浮かれていました。
いつものように心が平常でなく浮ついていて、
それが運ぶ足に表れていることに自分でも気付いていました。
そうしたときの私の体が発する音はざわめきであり、
無駄な音を発しているのです。
神社仏閣の境内では、
基本的に無駄に話をしたり、
不必要な音を立てないよう普段心掛けているので、
この日は自分の素行が良くないと感じていました。
自分の行動を改めなければならないと心を静めようとしますが、
好天に恵まれ目にする光景の多くが被写体となるような気がしてしまい、
それらを写真に撮る絶好の機会を逃してはいけないという思いが募り、
その心が素行に表れてしまったのです。
何せこうして生活圏から離れての撮影のための時間は久し振りの事、
久し振りに味わう開放感に心が揺れ動いたのが真の原因かもしれません。
〔02〕
〔03〕
四、 曹洞宗 「大聖寺」
銀杏の大木を前にしても写真に撮ることが出来ませんでしたが、
こうして枝から離れた落ち葉であればまだ何とか写真に撮ることができます。
水盤に落ちた葉を撮影しましたが、
やはり浮き立った心で撮った写真は、
どことなくいつもの自分の写真と少し違う気がするのは気のせいでしょうか。
*
折しもこの日飯山は市議会議員選挙の最終日で、
選挙カーが市内を走り回っていました。
最終日ということでどの陣営も熱のこもった声がスピーカーから流れてきます。
狭い土地で私のいる山懐にはその声が良く響き渡ります。
一人心を静めようと思い目と心を被写体に集中させますが、
耳だけはどうしてもそちらの方に傾いてしまいます。
それでも被写体を見つけて撮影に入りますとそれほど気にはならず障害にもなりません。
ただ、おもしろいのは田舎町の選挙故、
久し振りに味わう開放感に心が揺れ動いたのが真の原因かもしれません。
〔02〕
〔03〕
四、 曹洞宗 「大聖寺」
銀杏の大木を前にしても写真に撮ることが出来ませんでしたが、
こうして枝から離れた落ち葉であればまだ何とか写真に撮ることができます。
水盤に落ちた葉を撮影しましたが、
やはり浮き立った心で撮った写真は、
どことなくいつもの自分の写真と少し違う気がするのは気のせいでしょうか。
*
折しもこの日飯山は市議会議員選挙の最終日で、
選挙カーが市内を走り回っていました。
最終日ということでどの陣営も熱のこもった声がスピーカーから流れてきます。
狭い土地で私のいる山懐にはその声が良く響き渡ります。
一人心を静めようと思い目と心を被写体に集中させますが、
耳だけはどうしてもそちらの方に傾いてしまいます。
それでも被写体を見つけて撮影に入りますとそれほど気にはならず障害にもなりません。
ただ、おもしろいのは田舎町の選挙故、
各候補の全てのウグイス嬢が玄人ではなく、
中には素人ウグイス嬢もいて、
また、時折候補者がマイクを持ち弁を奮うのですが、
その声、話し方などが辿々しく垢抜けません。
いかにも田舎らしく緩やかで、
ほのぼのとした雰囲気すら感じてしまうのでした。
秋の暖かな日差しに囲まれて、
選挙戦の賑やかな声を聞きながら寺を巡り写真を撮る。
それはそれで味わい深い秋のひとときとなりました。
また、時折候補者がマイクを持ち弁を奮うのですが、
その声、話し方などが辿々しく垢抜けません。
いかにも田舎らしく緩やかで、
ほのぼのとした雰囲気すら感じてしまうのでした。
秋の暖かな日差しに囲まれて、
選挙戦の賑やかな声を聞きながら寺を巡り写真を撮る。
それはそれで味わい深い秋のひとときとなりました。