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意匠 [寺景]





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五月四日(水) 撮影


前記事で出掛けた朝の散歩、
この日訪れた五智国分寺は祭礼のようで、
本堂の前には五台の山車のようなものが鎮座しておりました。
山車に設えられた意匠に目を惹かれ写真に撮りました。
その意匠にはそれぞれに意味があるのだと思いますが、
私にはその意味がまったく分かりません。
興味だけで蒐集的に写真を撮りましたが、
写真としての塊が不十分ではありますが、
一つの発想を得たような気がします。
この後神社仏閣へ足を運ぶ時の新たな視線に繋がれば良いと思います。












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智慧 [寺景]





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如来の光に












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智慧を求めて参道を行けば












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八重桜の花弁に包まれ











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蓮華座には












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松の葉と松毬












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如意宝珠には












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成就の願い












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一筋の光












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その眼に何もかも見透かされたよう











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無言で帰ります












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その石畳を歩かずに




五月四日(水) 撮影












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序章 [寺景]





信州 飯山  秋の寺歩き  その一




十一月二十日 土曜日、
所用あり長野駅まで行きました。
用事を済ませた後は自由の身になります。
久し振りに地元を離れ一人で行動出来る時間を得ましたので、
まっすぐ帰宅せず少し道草をして帰る事にしました。
その道草の目的は秋の寺巡り、
場所は新潟県境も近い北信の町「飯山」です。

秋晴れの下心を弾ませ車を走らせます。
明るい空の色に心も軽やか、
途中、林檎畑の中を走れば林檎のほのかな香りも漂ってきます。

思惑より十五分ほど遅れて目当ての駐車場に無事到着。
散策コースのすぐ近くの駐車場に車を停め、
すぐさま秋の寺歩きに向かいます。




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   一、  曹洞宗 「常福寺」


飯山での寺巡り、
まず迎えてくれたのはこの大黒様でした。
この日最初の被写体となったのは何とこのベニヤに描かれたこの大黒様でした。
大黒様が座するのは突き当りの本堂の前、
手前の山門はまるで額縁よろしく深く影を落としていました。
大黒様は久しぶりに飯山を訪れた私を歓迎するように感じてなりません。
そう感ずると居ても立ってもおれず、
階段を登るのももどかしくそのお姿を写真に納めました。


こちらのお寺の山門裏手横には大きな銀杏の木が立っています。
この日銀杏は既に葉を落とし始めていましたが、
まだ十分に黄色い葉を大きく纏っていました。
手始めにこの銀杏の木を写真に撮ろうと思いましたが、
その黄色溢れる大きな銀杏に圧倒されこの秋も写真に納めることが出来ませんでした。
やはり紅葉は苦手意識を取り払うことができません。
これほど条件が整う幸運な場面でも冷静に対峙して写真に撮ることができません。


ここ飯山には千曲川に面した小高い山の中腹に、
二つの神社と九ヶ寺が一キロほどの短い間に並び建っています。
そこに建つ社寺を結ぶように細い道が敷かれ、
その道を辿ればその社寺を容易に観光客も巡り歩くことができます。
JR飯山駅隣の観光案内所で寺巡りの朱印帳を購入し、
朱印を集めて届けると極楽浄土行きの記念カードを手に入れることが出来ます。
また、七福神を祀った社寺が点在し七福神巡りもできます。

程よい起伏の小道を歩き寺を巡るのが楽しいここ飯山、
撮影のために訪れたのはこれが四度目、
太陽の軌道と時間の関係を知っているため、
この日の時間を考慮して辿る順序を自然に組み立て歩き出しました。



    *



今回新たな記事の構成を試みることにしました。
これまでは一回の撮影で多く写真を撮った場合には、
ある程度まとめて一つの記事に仕立ててきましたが、
今回は一つの記事での写真は一枚か数枚に限定してまとめ、
その分小気味よく更新していきたいと思います。
目標は毎日の更新、
皆様方も私の散歩を体感していただけるようにしたいと思います。
間延びした記事になってしまう嫌な予感もありますが、
しばらくの間この飯山での寺巡りの散歩にお付き合い下さい。













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秋容 [寺景]

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夏から数えて三度の五智散歩、
次第に秋も深まっていきます。

同じ場所へ何度も何度も足を運ぶ、
飽きるほど同じ景色を見ているけれど、
何かしら見つけ出すことが出来る楽しみがあります。
この次にここへ散歩に来るときは、
秋色から冬色に変わっているでしょうか。
季節の移ろいを眺め歩き写真に撮る、
私にとって写真を撮るという行為は、
自分の心の在り方などを記録する事、
つまりその時々の心象を積み重ねることであります。












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韻影 [寺景]





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前の記事は不意を突く寒さの到来に日常写真を挟みましたが、
再び朝の散歩写真に戻ります。

写真を撮るために、
また、写真を撮る目的以外にもほとんど出掛ける機会もないので、
専ら平凡な日常生活の中で目にする物を写真に撮るばかりです。
ですからしばらくは同じような写真が続きます。
それでもこうしてブログを続けて行きたいと思います。












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秋空 [寺景]







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気が付けば既に十月も半分を過ぎました。
今年は紅葉も遅く、
夏の猛暑の影響で、
その色がきれいではないと、
残念な話を聞きました。


今日の写真は冬の印象を重ねて撮った写真。
光の具合、
影の深さ、
空気の冷たさ、
何もかも冬の厳しさがまだ浅いのですが、
どちらかというと紅葉の鮮やかな写真は苦手なので、
色のない秋や冬を撮るのが好きです。

晩秋から冬の写真を少し先取りして撮りました。
言わばそれは冬の準備でもあります。
これから私の好きな季節がやってくる、
枯れゆく秋、
そして空気の厳しくなる冬、
その中には私の密かな喜びが心の奥底の方のある、
そんな写真です。



    *



今日の写真は、
前記事で失敗した時のサブ機で撮った写真です。
メモリカードを忘れただけの失敗ではありますが、
小さな失敗でも微妙に心理を揺さぶり、
時に撮影の気持ちが折れることがあります。
この日は幸いにも気持ちが折れることなく、
どうにか自分の写真を撮ることが出来ました。










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失敗 [寺景]





前の記事の最後に「とんだ失敗」と書きました。
今日はその失敗談です。

八月から九月に掛けて十七回の記事としてお届けした「素地」シリーズ、
その撮影場所は自宅から五キロほど離れた五智という所、
車に乗って出掛けて行っての撮影散歩地ですが、
私の気に入りの場所で、
ここ二十年近く、
一年を通して足を運んでは撮影しています。

また、このシリーズの写真は全て七月に購入したコンパクトデジカメで撮影しました。
この新しいカメラ、
広角28ミリから望遠300ミリまでのズームレンズを備えているので、
コンパクトでありながら様々な視点で撮影する事が出来ます。
デジタル一眼用のレンズは、
28ミリから135までのズームレンズ一本しか持たない私としては、
この300ミリという望遠と併せて持つマクロ機能がとても魅力的で、
ここしばらくは大方の撮影はこの新しいコンパクトカメラで事足りていました。
と言うことで今後こうした散歩での撮影はには、
このコンパクトカメラをメイン機種と考えていました。




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この朝出かける前の晩、
撮影のために早起きが出来ればよいと早めに床に着きました。
夜中雨音を聞いていたので、
翌朝の撮影は半分諦めていたのですが、
目が覚めて外を見てみますと雨は降っていませんでした。
雨の上がった空には黒い雲が諸処にありましたが、
東の空にはその雲間から明るい空も顔を覗かせていました。
空はゆっくりと明るさを増していきます。
そんな空を眺めながら写真を撮りました。

そうしている内に雨露に濡れた被写体を探すのも良いか、
そんな気持ちがわいてきまして、
そう思うといてもたってもいられず、
コンパクトカメラを携えて家を後にしました。












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さて、目的地に着き、
いつも通りの手順を踏み通い慣れた寺院の境内へと足を踏み入れます。
この日薄曇りにまだ十分な明るさを得ない景色の中に被写体を探します。
残念ながら思ったほど雨の滴はなく、
しっとりとした感覚はありません。
それでもいつも通りに歩きながら写真を撮り始めました。

そして写真を数枚撮ったところで、
突然カメラのモニタにメモリの容量がいっぱいになったという表示が現れました。


その文字を見た瞬間、
昨夜メモリのデータを移そうとカードをカメラから抜いた事を瞬時に思い出しました。
けれどもコンパクトカメラには内蔵メモリがあります。
その内蔵メモリに空きがあれば撮影は出来るのですが、
運悪く出掛ける前に家で空の撮影をしていたので、
そのデータで多くのメモリが使われていて、
ほとんど空きが無かったのです。

とりあえずモニタを見ながら不要と思われるカットを削除しようとしましたが、
微妙な時間帯の撮影だったので段階露光をしていたので、
モニタ画面ではどのカットを削除すればよいのか見分けることが出来ません。
削除すべき画像を絞り込むことが出来ないので、
どれほどの容量を確保できたのかわかりません。
メモリにしろ電池にしろ残量を気にしての撮影では落ち着いて撮影することが出来ません。
一枚のメモリで十分と踏んでいたので予備のカードも持ち合わせていません。
これではこの朝の撮影を諦めざるを得ない、
そんな状況でした。
きっと近くのコンビニでも飛び込めば、
メモリカードを手に入れる事が出来るとも思いましたが、
朝の光は刻々と変化していくので、
その時間が惜しまれ再び車を走らせることは出来ません。












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絶望的。












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しかし、幸運にもこの朝、
サブ機としてデジタル一眼を持ってきていたのです。
出掛ける間際までそんな気は無かったのですが、
何故だかこのカメラを持ってきていたのです。
こちのサブ機にはしっかりとカードが入っていました。
メイン機とサブ機、
この朝入れ替わっていたならばどうなっていたでしょう。
きっと一眼の機動性、写りなどを求めていたならば、
気落ちして撮影に集中する事が出来なかったかもしれません。
けれどもこの日は普通とはまるで反対の気持ちで出掛けていたので、
それほど気落ちすることなく撮影することが出来ました。

他愛ない出来事に長々とここまで読んでいただいた結果、
皆さんが来した結末に至らずスミマセンでした。



    *



今日の記事の写真はメイン機のコンパクトカメラで撮った写真、
結局このカメラではこの程度しか撮ることが出来ませんでした。
サブ機でとった写真はこの後の記事でご紹介いたします。







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素地 [寺景]





 「越後 五智 国分寺」  其の十三




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 八月二十二日 朝 撮影


 早朝寺院での散歩、
 帰り間際にまた千羽鶴のある祠の前に佇みました。
 そしてきたときと同じように千羽鶴の写真を撮りました。

 素地シリーズ一幕目最後に何かしら締めとなる写真を、
 そんな思いもありましたが、
 そう上手い運びとなる写真を撮ることは出来ませんでした。
 素のままというのが目的でしたから、
 この朝撮った写真をただ並べたいと思いたます。




    *



 国分寺、
 浄土真宗の宗祖である親鸞上人が越後に流されたときに滞在したとされる歴史を持つ寺で、
 松尾芭蕉が奥の細道で立ち寄ったされる地でもある地にありますが、
 よほど歴に詳しく傾倒している方でなければ、
 奈良や京都の観光寺とは違い、
 現在の境内には見て楽しむべ建物や庭などは無く、
 観光客の目を楽しませる事は出来ないように思われます。
 それでも興味を持たれた方は下記をご覧下さい。
 
 越後五智国分寺公式ホームページ http://www5c.biglobe.ne.jp/~etigo/
 
 新潟県WEB観光案内所 http://niitabi.ehoh.net/jyouetu/kokubun.html




    *



 本日でこの「素地」シリーズの第一幕が終わります。
 この朝、
 国分寺の境内を一通り回り歩いた後、
 すぐ近くにある越後一宮とされる居多神社を訪れました。

 この後は「越後 国府 居多神社」編をお送りします。
 「国分寺」編よりはずっと短いので、
 この朝の散歩にもうしばらくお付き合い下さい。










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素地 [寺景]





 「越後 五智 国分寺」  其の十二




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 八月二十二日 朝 撮影


 この朝の散歩を始めて既に一時間ほど境内を撮り歩きました。
 陽も徐々に高さを増し、
 歩き始めた頃に行き届かなかった境内のあちらこちらに、
 光を差し影を落とし始めました。

 訪れたときには平坦な光故、
 その色温度をその場の雰囲気として捉えるしか手立ての無かった仏様、
 帰り道でお会いした時にはそのお姿が深い陰影に浮かび上がっていました。

 光が変わるだけで写真も一変します。
 けれども私は待って撮る性格ではありません。
 その性格で捉えることの出来なかった光がたくさんあったことでしょう、
 けれでもその性格で出会うことのできた光もある、
 この日の朝も待つことなく歩いて出会った光です。










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素地 [寺景]





 「越後 五智 国分寺」  其の十一




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 八月二十二日 朝 撮影


 今日の写真は四面硝子に囲われた香炉と蝋燭を納めた箱の中、
 朝陽に眩しく輝くこの硝子箱に身も心も引き寄せられました。
 寺院ではいつもこうした対象に注視しながら歩き、
 通い慣れた寺院ではいつも気に留めて歩くわけですが、
 この朝は横から差し込む光が上手い具合にその対象を引き立てていました。

 この日手にしたカメラはこの夏の始めに手に入れた新たなカメラ、
 散歩に連れ出すのはこの日が二度目、
 前の型のカメラで使い慣れた操作も更に洗練され、
 小気味よく撮りながら歩きました。
 そのカメラ、安価ではありますがそれなりに良く写り、
 300ミリの望遠レンズを携えながら接写もこなす多彩なカメラですが、
 小さな点に焦点を合わせるのはやはり難しいようです。
 焦点合わせは少々苦手です。

 今日の写真の対象は蝋燭、
 その灯心に焦点を合わせる場面では、
 思いの場所に容易に焦点を合わすことが出来ません。
 それでもこの状況を何とか撮影したいとの思いから使った手は手動の焦点合わせ。
 うっかりしていると忘れがちな機能ですがしっかりと備えているのです。
 今日の写真では対象を完璧に焦点を掴んではいませんが、
 窮地に追い込まれたときには結構使いものになります。
 けれども距離鐶を手で回すのとは違って操作性は良くありません。
 また、モニターで確認する焦点は老眼の目には今ひとつ焦点の具合がよくわかりません。
 ですからじっくりと時間を掛けて撮る必要があります。
 
 横から差し込む光は刻々と変わります。
 千載一遇と心馳せれば焦るばかり、
 呼吸を整え心静め取ることが必要と、
 今となれば容易く言うことができるのですが、
 その場ではすっかり冷静さを忘れていました。
 気持ちに焦りがあれば良いものは生まれません。
 息も乱れ必死に撮る姿を思い起こせば恥ずかしい限り、
 まだまだ修行が足りません。



    *



 写真ほど言葉は操ることができません。
 いっそ不慣れな言葉など添えない方が良いと思いながらも、
 写真での不足を補おうと書いてしまいます。
 そうした現実も素のまま、
 それがこの題名を付けた目的でした。
 










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