素地 [寺景]
「越後 五智 国分寺」 其の十三
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〔03〕
〔04〕
八月二十二日 朝 撮影
早朝寺院での散歩、
帰り間際にまた千羽鶴のある祠の前に佇みました。
そしてきたときと同じように千羽鶴の写真を撮りました。
素地シリーズ一幕目最後に何かしら締めとなる写真を、
そんな思いもありましたが、
そう上手い運びとなる写真を撮ることは出来ませんでした。
素のままというのが目的でしたから、
この朝撮った写真をただ並べたいと思いたます。
*
国分寺、
浄土真宗の宗祖である親鸞上人が越後に流されたときに滞在したとされる歴史を持つ寺で、
松尾芭蕉が奥の細道で立ち寄ったされる地でもある地にありますが、
よほど歴に詳しく傾倒している方でなければ、
奈良や京都の観光寺とは違い、
現在の境内には見て楽しむべ建物や庭などは無く、
観光客の目を楽しませる事は出来ないように思われます。
それでも興味を持たれた方は下記をご覧下さい。
越後五智国分寺公式ホームページ http://www5c.biglobe.ne.jp/~etigo/
新潟県WEB観光案内所 http://niitabi.ehoh.net/jyouetu/kokubun.html
*
本日でこの「素地」シリーズの第一幕が終わります。
この朝、
国分寺の境内を一通り回り歩いた後、
すぐ近くにある越後一宮とされる居多神社を訪れました。
この後は「越後 国府 居多神社」編をお送りします。
「国分寺」編よりはずっと短いので、
この朝の散歩にもうしばらくお付き合い下さい。
寺院は立派なほど、
ご利益があるというわけではありません。
たくさんのお布施をすれば、
それに比例したご利益があるわけでもありません。
一昨年、義母が亡くなり、
法事は京都の小さな神社でやったのですが、
諸事情から大阪の大きな寺に納骨しました。
その寺ってのが最悪で、流れ作業で経を読み、
順番の「お客」がちょっとでも遅れたり、
座る場所を間違えたりすると、問答無用で
叱りつけたりするわけです。
死んでまでも、こんな寺に入りたくないと思いました。
ひとつひとつに思いの込もった千羽鶴、、、
それは千羽鶴という塊ではなく、
千の思いの込められたものの集合体です。
まったく同じカタチのものは2つとありません。
願わくは、、、
そんな千羽鶴を大切に奉納してくれるような寺で
眠りたいものです。
by cjlewis (2010-09-11 00:34)
「cjlewis」さん、
いつもご丁寧にコメントを頂きありがとうございます。
個人的にこの国分寺という寺院には思い入れがありますが、
この場では長くなるので語ることはいたしません。
寺院へ足を向けることになったきっかけは、
写真を撮るためですが、
三十年も通っている間にその動機は変わりました。
そういいながらも今でも写真を撮る目的に変わりは無いのですが、
胸に抱く思いは随分変わりました。
千羽鶴、
一折り、一折りに込める祈りは、
きっと亡き者への哀悼の意、
寺院での祈りは他者への祈り、
今では私も同じ心持ちであります。
by 寂光 (2010-09-11 00:50)
おはようございます。
千羽鶴に当たる朝の光が良いですね。
色合いも哀愁をお帯びてます。
by BPノスタルジックカーショー (2010-09-11 04:46)
見ごたえ有る写真ですね、勉強させていただきました。
by katakiyo (2010-09-11 06:53)
北陸には浄土真宗の寺が多いと聞いておりますが
新潟でも同様でしょうか。
私は真宗大谷派門徒ですが親近感を抱きます。
by nd502 (2010-09-11 07:08)
「BPノスタルジックカーショー 」さん、
この日は帰る頃になって光の具合が良くなりました。
光の加減で写真は色合いや雰囲気が変わるので、
そうした移ろいを撮るのも楽しいものです。
「katakiyo」さん、
ありがとうございます。
この仏様の写真はブログで何度も登場しています。
いつも変わり映えのしない写真なのです。
「nd502」さん、
きっと多いと思います。
我が家も浄土真宗で、
先の記事「朝拝」を撮った浄興寺も浄土真宗の寺院です。
by 寂光 (2010-09-11 12:35)
とても色鮮やかで
想いが写る写真ですね…
by zak (2010-09-11 17:37)
「zak」さん、
意図していないのかもしれませんが、
美しい色の並び具合です。
私の心もこうした場面では素直になります。
by 寂光 (2010-09-11 21:34)
千羽鶴のグラデーションが綺麗ですね。
私は、千羽鶴用の鶴を折るときには最後の首を折らない、と教わり、以来そのようにしているのですがこちらは折ってあるようですね。
by icarus (2010-09-11 21:42)
こんばんは いつもご来訪並びにnice ありがとうございます。
いつも素敵な写真ですね。 光線がとても綺麗です。
全国で浄土宗・浄土真宗系はもっとも寺院数が多いそうです。
by たいせい (2010-09-11 22:14)
「icarus」さん、
私の勝手な想像、思い過ごしかもしれませんが、
広島にはきっとたくさんの折り鶴があるような気がします。
広島の方々が折った鶴には、
一層深い祈りが込められているような気がします。
頂いたコメントから勝手に想いを膨らませています。
もしよろしければ最後の一折りのない鶴を見せていただけないでしょうか。
by 寂光 (2010-09-11 22:14)
美しい色ですね、心が落ち着きます。
華やかな色なのに おさえた感じがいいですヾ(´∀`*)ノ
by aya (2010-09-11 22:16)
「たいせい」さん、
民衆の仏教と行って良いのかどうかわかりませんが、
「南無阿弥陀仏」と名号を唱えれば極楽浄土に導かれる、
そうしたわかりやすさ、
容易さが広く受け入れられての事でしょうか。
by 寂光 (2010-09-11 22:17)
「AYA」さん、
色の華やかさとは裏腹な祈りが存在していると感じました。
私のような通りすがりの者にも心静める無言の力を感じました。
by 寂光 (2010-09-11 22:21)
この記事まで辿り着いていただいた皆様には、
心より感謝しいたします。
このシリーズに限り、
頂いたコメントに拙い返事を書かせて頂きます。
時間が掛かると思いますが必ず書かせて頂きます。
by 寂光 (2010-09-11 22:47)
ちょっと古いですが私の以前のポストに首の折れていない千羽鶴の写真があります。(http://icarus.blog.so-net.ne.jp/2008-02-07)
きっと、「首が折れる」というネガティブな連想を避けているのではないかと推察します。
by icarus (2010-09-11 23:23)
icarus 」さん、
早速に記事をご紹介いただきありがとうございます。
拝見いたしました。
意味合いがよく分かりませんが、
何だかの意味が分かるような気がします。
ありがとうございました。
by 寂光 (2010-09-11 23:29)
中川幸雄さんが新潟で行った 数百万本の紅いチューリップの花を
ヘリコプターで散華されたことを思いだしました。
折り鶴が紅いチューリップの様に見えました。
芭蕉の奥の細道の勉強会を月に一度参加しています。今は仙台あたりですがこちらの国分寺も勉強する時がきそうです。
by SILENT (2010-09-12 20:11)
千羽鶴の色合いがとてもきれいです。
何時も、光と影の使い方に感心させられ、作品のやわらかさが伝わってきます。
素地シリーズの途中から拝読させて頂きましたが、次回のシリーズも楽しみにしております。
by ちっぷ (2010-09-12 21:09)
「SILENT」さん、
私もテレビで見た記憶があるのですが、
正直言って良く覚えていません。
チューリップは新たな球根を得るために花を切り落とすので、
切り落とした花を空から撒くのはどうかと思いましたが、
仏教で行う「散華」のことを思えば、
新たな視線、心持ちで見ることが出来るように思いました。
あの数のチューリップの花びら、
千羽鶴の一羽一羽と重ね合わせて見ることも出来ます。
「ちっぷ」さん、
長いこと写真を撮ってきました。
撮るものは同じものばかりで、
撮る度に撮り方を変えないとおもしろくありません。
そうしてこうした写真の撮り方が身に付きました。
気にいらないときには撮らない、
そんなわがままな写真撮りをしています。
by 寂光 (2010-09-13 07:37)