習作 [朝景]
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十月二日(日) 撮影
休日の朝に撮影に出掛けるならば、
市内にある三ヶ所ほどの神社仏閣の何処へ行くかで迷うのだが、
この朝は別の場所へ行こうと決めていました。
結果、公園に行きいつもとは違った被写体を探しました。
陸上競技場のトラックには少し前からこうして撮ろうというイメージを持っていたので、
それを実行しました。
それ以外の写真は歩きながら目に止まった物を撮りました。
神社仏閣の写真が好きですが、
時にはこうした写真も撮って楽しんでします。
静光 [朝景]
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こうした色合いに空気が染まる朝のひととき、
その静かな光を見つめるのが好きです。
九月二十四日(土) 撮影
年末、
もう残すところ今年もあと一週間ほど、
昨日の朝から雪が降り、
師走の町は雪景色となりました。
今日の日曜日、
我が家の大掃除時間割に従って分担の掃除をするのですが、
他に町内会の仕事や買い物にも行かなければならないし、
年賀状も書かなければなりません。
ゆっくりと皆様方のブログ訪問などできる休日はまだ先、
そして年末年始休暇中一日もあればよい方でしょうか。
さて、朝飯前に除雪車が掻いて行った雪を処理してきましょう。
昨夜は少ししか雪は降らなかったので、
十五分もあれば終わるでしょう。
気配 [朝景]
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七月十三日(月) 撮影
朝目が覚めると何か気配を感じ取り、
布団を抜け出し窓の外を眺めると、
いつもとは違った空が広がっていました。
直ぐさま枕元に置いてあるカメラを持ち出し、
刻々と変わる空の写真を撮りました。
※最初に更新した文章の内容に誤りがあったので一部改筆しました。
散歩 [朝景]
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その朝、
穏やかな海面を低く朝霧が漂っていました。
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その霧が立ち上り、
太陽を包み込んでいました。
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霧が薄くなり、
暖かな色合に太陽が染まります。
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空を飛ぶ鳥の姿が、
太陽の中に溶け込んでいきます。
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霧が晴れ、
力強く朝陽が差し込みます。
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朝日の熱に朝露が緩み、
衣を流れ落ちます。
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親鸞聖人像も朝陽を見つめていました。
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笠の陰が深く、
その眼は見えずとも、
見つめる視線の先を感じ取ります。
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杖に掛けた念珠には信者の願いが籠もります。
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御堂へと続く石畳を振り返り、
その輝きを見つめます。
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庭木の花が落ち作り出す意匠、
踏まぬようそっと歩きます。
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空に描かれる雲と樹の陰。
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枝葉の陰は迷い無く、
雲の陰の縁取りは階調が豊かです。
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海霧は晴れましたが、
階上は晴れず雲が重なり薄い陰影を作っていました。
海は相変わらず静かで、
緩やかに朝の時間が流れていきました。
五月八日(日) 撮影
五月の連休、
長い休みの方は連休最後の日曜日、
其の朝写真を撮りに出掛けました。
場所は直江津、
昔、親鸞聖人が流罪で越後に流されたとき、
日本海を船で越後に向かった聖人は、
ここ居多ヶ浜で船から上陸したと伝えられています。
この浜はすぐ背後に崖が控え、
その崖を登ればそこに居多ヶ浜記念館があります。
辺りは「五智」と呼ばれるところで、
近くにある「五智国分寺」など親鸞聖人所縁の寺院があり、
越後國一宮「居多神社」などもあり、
年に何度も足を運ぶ撮影散歩の気に入りの場所です。
居多ヶ浜記念館前の展望台では海を見渡す事が出来ます。
周辺の神社仏閣を眺め歩いた後に、
展望台から眺める日本海はいつも新鮮に目に映り、
心身共に休まる思いがします。
潮を嗅ぎ、
波の音を聞き、
目には映らない遠い日のことを思い描く瞬間がそこにあります。
*
どうにも仕事が追いつかず、
ここしばらく、早朝出勤、残業が続いています。
五月は仕事も忙しくなる前で余裕がありたくさんの写真を撮りました。
記事にする写真は山ほどあるのですが、
ブログ記事を作る時間がありません。
残念ながら更新が滞りそうです。
夏が終わるまではこの状態が続くので、
嫌いで苦手な夏を乗り切ることが出来るかどうか、
本格的な夏を前に今から不安を抱えています。
皆様のブログへの訪問が疎かになりますがご容赦下さい。
連立 [朝景]
十月二十九日
通勤途中、
車のフロントガラス越しに撮影。
画面が少し眠いのはフロントガラスの端の方から撮ったから。
こうした写真を車から降りてしっかり撮りたいと思うものの、
やはり朝はそうした余裕がありません。
秋色 [朝景]
この朝の散歩はもう少し続きます。
思いつきは海でしたが、
その後の展開にひらめくものが無かったので、
結局先の「素地」シリーズと同じように居多神社へ向かいました。
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寺院の境内を出ると車の通ることが出来ない細い坂道を下りますが、
その道の入り口に廃屋があります。
これまでに何度もこの道を通っているのですが、
玄関らしい構えなど全くないその玄関に、
こうしたモザイクタイルが埋め込まれているのをこの朝初めて気付きました。
カメラを手にして歩く散歩は、
それこそ目を皿のようにして歩いていて、
もう撮り尽くしていると思っているのですが、
まだまだ見落としている物があるのだとこのとき改めて思い知るのでした。
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そうした出会いにより得た写真を撮り少し心が潤いました。
心が趣くままそのまま、
意識することなく坂道を下るのが普通の行動ですが、
ふと振り返れば背後には私の心を惹く空が広がっていました。
その光を逃したくないので、
その光と対照とする影を探すのですが、
持ち合わせたレンズの長さが足りず、
電線など構わず画面の中に入れてシャッターを切りました。
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松の葉もこうした光り輝く空を背景に捉えれば、
遠く昔の画人が描いていたような想いで写真にすることが出来ます。
冬の光と空気感の中ではこうした姿が特に引き立ち、
そうした写真を撮るのが私は好きです。
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まだ冬を迎えていない樹木に葉を纏っています。
冬の枯れ色ではありませんが、
この後足早にその葉も落とすことでしょう。
まだ秋色のその葉を好きな空の光の中に見やります。
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好きな光景なので、
もう一枚。
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居多神社へは脇道に歩みを向けます。
暗い階段とその先の鳥居。
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鏡のような池。
その水面には樹木の影の隙間に秋の薄暗い空が映ります。
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この池を撮ることをこの朝は出掛ける前から意図していました。
その想いを遂げるために立ち向かいましたが、
結果は思うような写真を撮ることが出来ませんでした。
新たな発想は何も沸いてきませんでした。
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定めのように鯉を眺めます。
口からは発することなく語り掛けますが、
いつものように返事はありません。
それでもこの鯉を眺めます。
*
この日は一時間半ほど歩きました。
今年二度目の五智散歩はこの記事で幕を閉じます。
今日の記事に付した文章は一気に書きました。
推敲する気力がないのでそのまま更新します。
気が向いたら誤字脱字も含め推敲するつもりでいます。
五智への二回の散歩ではそこそこ写真を撮ることが出来ました。
少し間を置いたことで見慣れた光景からも新たな被写体を見つけ出すことができました。
それに気をよくして翌週の日曜日も懲りずに三度足を運びました。
この後更にその散歩で撮った写真で記事を繋いでいく予定です。
もう少し朝の散歩にお付き合いいただくことになります。
蔓姿 [朝景]
再び朝の撮影散歩に戻ります。
(三つ前の記事「韻影」http://wabi-sabi.blog.so-net.ne.jp/2010-10-22の続きです)
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緊張感を帯びながら撮影をしていましたが、
やはりメモリカードを忘れた痛手を時に感じていました。
恵まれた光に出会えば尚更その思いは深くなるのですが、
それでもこの日はその思いに捕らわれることなく撮り歩きをしていました。
けれども何が切っ掛けなのか自分でもわかりませんが、
心が突然折れました。
この場から離れ他へ行ってみようかと思った瞬間に、
心が離れていくようにも思われました。
思い他空が晴れ、明るくなってきたので、
久し振りに海でも見に行こうかという思い付きました。
この寺院から海までは歩いても数分、
心折れたのでこのままこの寺院に止まっても写真を撮ることは出来ない、
そのような思いに至り、
海へ行くかどうかは決めていないけれども一度寺院を後にすることとしました。
寺院の脇道から海の方向に抜けようと歩きます。
その傍らに小さな茂みがありました。
その茂みの中に何か引っ掛かるものがありました。
この日冬を思わせる空の色具合、空気感に心惹かれ目を奪われていましたから、
この何の変哲もない茂みには気を引く物など無いと思っていましたが、
この日はなぜだか写真を撮る気になりました。
その対象物が何なのかその時点では自分でも分かっていませんでした。
その茂みの傍らを抜けながら数枚の写真を撮りました。
その茂みの手前から眺め、
傍に寄り見上げ、
時に振り返り、
最後に天空を望むようにして思い切り見上げれば、
その答えがありました。
*
散歩では、
時に意図していない被写体に出会うことがあります。
そうした出会いや発見を得ることが散歩の楽しみの一つでもあります。