終雪 [冬景]
夕暮れ近く、
外の明るさに誘われ裏の田んぼへとカメラを携へ家を出ました。
その朝に降った雪は融けることなく、
夕方まで田んぼを白く覆っていました。
その雪明りび誘われての外出です。
三月下旬の雪は別れの雪、
この日の雪も最後なのかどうかは時が過ぎてみないと分かりません。
ですからこの時候の雪には自然と感覚を澄ませて接します。
〔01〕
外に出て頭上高く空を見上げました。
このうした空の配色、
凍て付く冴えた空の冬ももう終わります。
〔02〕
空は眺める方角によりその表情は変わります。
西のを見やれば、
深い陰影の空が広がっていました。
〔03〕
目線を落とし、
雪に覆われた田んぼを眺めます。
一夜に降った雪は思った深かったものの、
一度地面の顔を覗かせていた田んぼに、
地面の島を作っていました。
〔03〕
雪の写真を撮ろうと思い出掛けたのに、
空の表情も気になり時折空を眺めます。
夕暮れ近い空は刻々と表情を変えるのです。
〔04〕
歩を進めれば雪に覆われた田んぼの表情も変わります。
地面を覆う雪が描き出すその柔らかな形に見惚れました。
〔05〕
まだまだ空が気になりを眺めます。
時間の経過と共に青色が深くなっていきます。
〔06〕
真冬にはその背丈以上に雪が積もっていただろうに、
それでも背筋を伸ばししっかりと立っている、
その強い命の強さを感じます。
〔07〕
生き物の足跡がありました。
足跡の主は分かりませんが、
そこに息づく命を感じます。
〔08〕
真冬には雪が深く、
足を踏み入れることが出来ず見逃してしまう造形。
〔09〕
雪肌に近寄って見ます。
〔10〕
雪が見せる造形は儚い。
〔11〕
畑の畝の露わな様。
〔12〕
水たまりに映る空を探して歩きます。
〔13〕
その島模様は思い描く夢の地図のよう。
〔14〕
微細な起伏に砂丘の波紋を思い浮かべます。
〔15〕
陽も大分傾きました。
〔16〕
光が薄れていく中の雪は、
美しい。
三月二十七日(日) 撮影
既に梅雨入りした所のある日本列島、
暦では衣替えを向かえましたが、
我がブログの写真はまだ雪の写真です。
雪深い我が新潟県の上越は、
この写真を撮った三月二十七日がこの冬最後の降雪となりました。
この冬最後の雪と感じ取ったのでしょうか、
この日の夕方に、
外の気配に誘われ外に出たのは幸運でした。
毎年最後の雪を目にしていながら、
長い人生の中で写真に収めることはありませんでした。
今年は幸いに最後の雪を愛でることが出来ました。
次回の記事もこの雪景色の続きとなりますが、
次回がこの冬綴ってきた「冬景」の最終回となります。
終雪 [冬景]
〔01〕
〔02〕
三月二十七日、
三月も終わりに近いこの日、
朝目が覚めると一面の雪景色に包まれていました。
三月に降る雪は、
もうこれで雪は終わりだろうと思いで眺めますが、
その後にまた雪が降ると、
別れの日が一日延びたような気持になります。
この朝に降った雪がこの冬最後の雪となりました。
時は二ヶ月も過ぎ去り既に五月も終ろうとする今、
今年は季節外れの台風と早い梅雨入りに雨一色といった景色に、
心深く濡れ、寒さも覚えますが、
その寒さとは比べものにならないほどの寒さ、冷たさを、
そして、この雪の白い景色が懐かしくて仕方がありません。
三月二十七日(日) 撮影
其日 [冬景]
そしてその日がやって来ました。
その朝も雪がうっすらと降りました。
ただ、雪が降ったこと以外には、
何事もなくいつもと同じ平凡な朝でした。
何かを察知すべき予言があったのかもしれませんが、
感応する能力を持たない私には、
何も感じ取ることが出来ませんでした。
それでもこの朝、
私に写真を撮らせる何らかの働き掛けがあったのでしょうか。
自然が持つ力の大きさを、
この日私は、
改めて思い知るのでした。
三月十一日(金) 撮影
氷花 [冬景]
〔01〕
枝先に咲いた氷の花。
〔02〕
朝陽を浴びて光り輝きます。
〔03〕
水滴が落ちながら咲いた花。
〔04〕
光り輝けど、
その冷たい花の冷たさに、
三月九日(水) 撮影
三月九日の朝はことのほか余裕があり、
その上天気が良かったので出勤前後に、
いつもより多く写真を撮ることが出来ました。
今こうして振り返ってみると、
忙しい時期にも関わらず、
随分優雅な時間を自ら作り出していたと、
また、それは早起きするからこそ得られた時間だと感じるのであります。
日常生活のわずかな時間の中でこうした写真を撮る行為が、
ささやかですが心に潤いを与えてくれるような気がします。
輪郭 [冬景]
〔01〕
〔02〕
〔03〕
除雪のため重機で積み上げられた雪の山、
そのなめらかではない山肌の輪郭を、
斜めから差し込む朝陽が浮かび上がらせていました。
到底被写体として成り立たない、
何の感情も湧かないありふれた日常の景色、
厄介者として嫌われるその雪山を、
光の存在で被写体に仕立ててくれました。
光あれば万物輝き出す、
日々そうした思いを抱き、
感ずる心を失わないよう心掛けています。
三月九日(水) 撮影
暖感 [冬景]
〔01〕
翌朝もうっすらと雪が降っていました。
残雪の肌を新たな白色へと化粧していました。
雲は遠退き、
この後晴れ渡る予感を抱かせる空模様です。
〔02〕
気持ちの良い晴天、
まだまだ寒さはあるものの、
この空と雪の清々しい光景に心も晴れ渡ります。
〔03〕
こんな日は信号待ちで停止する事すら、
暖かな日差しを浴びると思えば苦になりません。
〔04〕
路面を照らす太陽の光眩しく、
その光に暖かみを感じ取る事ができます。
*
前日に続きこの朝雪が降りました。
まだまだ雪の降る三月ですが、
確実に雪の降る日は少なくなり、
次第に冬の厳しさも和らいでいくのを感じ取る事ができます。
三月九日(水) 撮影
儚雪 [冬景]
〔01〕
この朝雪が降りました。
三月に入っても雪の降る日は多かったのですが、
ほんのわずかな量で地面全体を真っ白に、
埋め尽くすように覆うことはありません。
〔02〕
道路脇の立木の根本には、
秋に払い落とされた枝が無造作に積まれ、
それを隠さぬよう三月の儚い雪がそっと覆います。
〔03〕
見上げれば明るい空が広がっています。
細く小さな枝先にも雪が纏わりつくように積もっていました。
わずかな雪だからこそバランス良くその形を演出しています。
〔04〕
枝先に太陽を重ねてみます。
老木の桜ですが、
まだ新しい枝を伸ばし花を咲かせようとしている姿を見つけました。
その小さな姿に木の命を感じるのでした。
三月八日(火) 撮影
夜からこの朝までに降った雪は、
陽が上るとすぐに消えてしまいました。
春近い三月の雪は、
こうして降っては消え、降っては消えを繰り返し、
やがて本当の春がやってきます。
停待 [冬景]
〔01〕
上り始発電車を踏切で見送ります。
時間は五時四十分頃、
仕事がひと区切りしたら、
この電車に乗って旅にでも出たいと思うのでした。
〔02〕
まだまだ空は暗く、
うっすらと降った雪がライトの光に浮かび上がります。
〔03〕
この冬には通勤途上にたくさんの写真を撮りました。
この交差点で信号待ちでもたくさんの写真を撮りました。
あと二週間もすればこの通勤路を通ることもなくなる、
残り少ないその日を思うと、
こうして何気ない景色にもカメラを向けるようになります。
三月四日(金) 撮影
帰路 [冬景]
〔01〕
〔02〕
〔03〕
〔04〕
〔05〕
もう飽き飽きとした感のある写真です。
正直、この「冬景」シリーズを綴っていたときには強くそう感じていたのですが、
三ヶ月近い月日が過ぎ、
五月晴れに新緑の息吹感じる今の季節にこうした写真を見れば、
懐かしい鮮明な記憶が甦ると共に新たな感情も沸いてきます。
三月二十五日(金) 撮影
冬空 [冬景]
窓硝子に咲いた霜の花が融けたら出発、
仕事場に向かいます。
〔01〕
いつもの通勤途上、
空に飛行機が飛んでいるのを見つけました。
この通勤路で飛行機を見るのは初めてでした。
〔02〕
目が覚めた時にすっかり明るく晴れ渡っている様も気持ちが良いのですが、
このような薄暗い空にその日が晴れるという期待感を抱かせる空が好きです。
〔03〕
快晴で青空が広がっていると、
ただそれだけで気持ちが良くなります。
〔04〕
凍てつき、
清浄で、
張りつめたその空気感を味わうことのできる冬が好きです。
〔05〕
仕事場に着きました。
時候と天候、そして月の周期が作り出す何気ない身の回りに広がる景色ですが、
こうして出会えた事に小さいながらも幸せを感じます。
二月二十二日(火) 撮影