彌彦 [旅景]
「はじまり」
二月から三月、
年度末と費税引き上げが重なり、
細かい仕事が立て込んでいました.
複数の仕事をこなす中、
一つの仕事は、
客先の都合で毎週土曜日に集中して仕事をしていました。
三月も終わりに近い平日の木曜日、
これまた客先の都合で仕事が出来なかったので、
溜まった代休を消化するべく、
休暇を取得し小さな旅へ出ました。
旅の目的は色々とありましたが、
自分なりに思い描く映像を得るために、
実現で起訴な場所へ出掛け、
そこで写真を撮ることが一番の目的でした。
〔01〕
「停車した電車の車窓に落ちる雨」
前夜から生憎の雨、
目覚めた寝床で微かに聞こえる雨音を聴きながら、
頭の中がいっぱいになってしましたい。
つまりこの後、
雨の降る中、
わざわざ旅に出掛けるかどうかと思案していたのです。
旅の主たる目的は写真を撮ることでしたから、
雨では思うように写真を撮ることが出来ない、
その大前提が思うようにいかないのであれば、
旅に出る意味がない。
ただ、雨の日ならではの写真を撮ることが出来るかもしれない。
そのような思いが交互に湧いてきて、
しばらくは雨音を聴きながら思案してましたが、
「午後には雨が上がる」という天気予報に期待して、
意を決して家を後にしたのです。
〔02〕
「心もようを映し出す車窓の日本海」
新潟行きの快速電車は、
雨混じりの天候など気にもせず調に走ります。
「直江津津駅」を出てしばらくすると、
「柿崎駅」の手前で日本海が目の前に広がります。
晴れていたなら、
この海の向こうに佐渡を見る事も出来るのですが、
この日は空は薄雲に覆われ、
佐渡を望むことは出来ませんでした。
春まだ浅い旅、
目にする車窓の風景は、
沈み込んだ私の心が映ります。
〔03〕
「ホームに佇むローカル列車」
快速列車は私の感情などは関係なく、
いくつもの駅を通過してただひたすら走ります。
「長岡駅」過ぎ、
やがて「東三条駅」に到着しました。
新潟県に住んでいても、
特別な用事か目的がない限り、
この駅に降り立つことはないと、
私自身が思っていましたが、
この日の旅の目的は、
ここ「東三条駅」に降り立つことでした。
初めて降り立った駅。
僅かな乗り換え時間の為、
ゆっくりと感じ入る事が出来ませんでしたが、
新潟色のローカル列車がホームで佇んでいました。
〔04〕
「ローカル色漂う0番線へ」
ここ東三条駅は、
新潟への往復に何度か通過しています。
新潟へ行くときは、
途中、海を見たいので、
進行方向左側に席を取ります。
列車やバスの車窓をぼんやりと眺めるのが好きなもので、
東三条駅の手間で、
自分の乗った信越本線から別れ、
北へ向かう線路を、
その車窓から何度か目にしていました。
その線路は、
細々と建てこんだ薄暗い建物の間を縫い、
急カーブを描いて信越本線から離れていきます。
何故だかその景色に心惹かれ、
一度その路線に一度乗って見たいと見る度に思っていたのです。
また、五十年以上生きていながら、
未だ新潟県内に乗ったことの無い鉄道路線があり、
いつかはそれらの路線に乗ってみたいと近年考えていた事もあり、
この日は未だ乗ったことのないこの弥彦線に乗ることにしたのです。
〔05〕
「神社を模した駅舎」
弥彦線の列車は至ってゆっくりと走ります。
この速度の緩さがローカル線の旅に似合います。
途中、上越新幹線を燕三条駅で潜り、
更に吉田で越後線を跨ぎ、
あっという間に弥彦駅に到着しました。
彌彦神社の最寄り駅、
勿論、鉄道を利用して神社に参拝する人の乗降駅になるため、
駅舎は神社を模した造りになっていて、
参拝客にとっては旅情誘う構えになっています。
東三条駅から弥彦までは僅か17.4Km、
途中には五駅しかない短い路線ですが、
東三条から弥彦まで直通する列車は無く、
弥彦駅と吉田駅の三駅を往復する専用列車が運行しています。
弥彦駅に降り立ったのはわずか数名、
観光で訪れた私が駅舎の写真を撮っている間に、
その人たちの姿もすぐに見失いました。
〔06〕
「思い掛けない出会い」
彌彦で出迎えてくれたのは、
軒に吊された鮭。
思い掛けない出迎えに一撮。
新潟県内では、
山形県境に近い村上という土地が鮭で有名だが、
ここ弥彦で吊るされた鮭が出迎えてくれるとは思いも付きませんでした。
心配された空模様でしたが、
弥彦に着いた頃には雨は降っていませんでした。
空は雲に覆われていて、
平坦な光の具合は、
写真向きではないものの、
雨が降っているよりは気が楽で、
天候にあった印象の写真を撮れば良いと割り切ります。
〔07〕
「パンダ焼き」
彌彦に出掛けたら、
この店でパンダ焼きを買いたいと思っていたので、
迷うこと無く入店しました。
この店は以前テレビで紹介されていた店で、
「パンダ焼き」が有名。
店の中を見渡せば、
この店を訪れた芸能人の色紙がたくさん貼ってありました。
〔08〕
「パンダ焼きを食す」
パンダ焼きには種類がたくさんありましたが、
「彌彦むすめ」という、
県内では有名な枝豆入りの餡が詰まったパンダ焼きを購入。
白い皮はもちもちとして、
所謂鯛焼きなどのように固くは無く、
枝豆入りの餡は甘さも控えめで、
甘いものが得意では無い男性でも難なく食べる事が出来そうな味でした。
五時過ぎに朝食を摂っていたので、
腹具合も余裕がありましたので、
「パンダ焼き」で小腹を満たして、
神社へと向かい歩き出します。
参拝と撮影を済ませ、
帰りに再び店に寄りました。
土産にパンダ焼きを13個買ったら、
やや焦げたものを1個おまけに頂きました。
けれどもこの「パンダ焼き」が結構重く、
弥彦の後に寄り道をして結構歩いたのですが、
その重さに難儀しました。
〔09〕
「温泉街の景色」
彌彦には温泉があります。
二件ほど暖簾を下ろした大きなホテルが二軒ありましたが、
こうした温泉街には付き物の、
温泉饅頭屋を何件かありました。
こうした店が何軒もあると、
何処で買って良いのか迷いますが、
一軒の店で四十歳前後と見られるご夫婦が、
二人きりで饅頭を作っていた姿を見つけました。
その姿が何だか微笑ましく、
土産に買い求めようかと思いましたが、
この日は先のパンダ焼きを買うことを決めていたので、
この日は見送りました。
湯気が出ている店がその饅頭屋です。
道路に面した硝子窓のすぐ前で、
奥さんが皮に餡を詰める作業をしていたので、
饅頭を作っている姿を写真に撮る事は気が引けたので止めました。
〔10〕
「その場所に似合う風景」
どんなに繁盛している温泉街にも見られる、
暖簾を下ろした店があるものです。
そうした衰退した姿を見ると、
様々な事を想像しては心が痛みます。
けれども、
繁栄して煌びやかな場所より、
雪国の三月に、
五十を過ぎた男が一人で歩くには、
こうした少し寂れたよな場所が似合うよな気がします。
〔11〕
「ガラス戸の向こうの雛人形」
嘗ては店舗だったとも思われる古屋の玄関先に飾られた雛人形。
飾っ人の想いを察します。
中途半端な季節の平日という事で、
神社への道で出会う泊客と参拝者もほとんどなく、
寂しさが漂っていました。
〔12〕
「ガラスケースの中の食品サンプル」
少々寂しさの漂う温泉街の食堂、
食品サンプルの並んだショーケース。
何故だかこうした物に気を惹かれます。
サンプル見ると、
どれにするか迷います。
そして、
実際に出てくる食品との違いが気になります。
この日、この店で昼食も良いかと思い、
参拝の後に立ち寄ったら、
生憎この日は定休日でした。
〔13〕
「温泉に入り蕎麦を食す」
一軒の宿屋ですが、
立ち寄り湯と食事もできるようです。
小さな格子の木戸がありまして、
そこから垣間見る玄関先。
狸の置物に板やのぼり旗がありますが、
この玄関から客は入ることが出来ず、
脇にあるありふれた玄関から入るよう張り紙がありました。
「海運蕎麦」、
なぜかその言葉に気を惹かれました。
何やらその言葉に温泉に浸かり、
開運蕎麦を食す光景を想像すると、
立ち寄って行こうかとも思いましたが、
この日は湯に浸かる予定も準備もなく、
昼食には早過ぎるし、
弥彦神社への参拝前ということで、
見送りました。
〔14〕
「朱塗りの大鳥居」
小さな温泉街の通りはそれほど長くなく、
前方に彌彦神社の朱塗りの鳥居が見えてきました。
大きく立派なその鳥居の向こうには、
石畳の参道が見えます。
この鳥居の存在と気に覆われた境内の気配に、
何か予感を感じます。
三月二十七日(木) 撮影
さて、この後、
旅の主目的である彌彦神社へと足を踏み入れます。
そこで撮った写真を次回の記事から羅列します。
この度の記事を旅の翌日から書き始めたにも関わらず、
ここまで時間が掛かったのは文章の作成能力が衰えているため、
本記事のように文章を付していると、
いつまでたっても次の記事を更新することが出来ないので、
次回からは文章を書くことは止めにします。
なお、
本記事における誤字脱字、
文章の不出来など、
上記の理由によりご理解とご容赦頂きたいと思います。
冬寺 [旅景]
〔01〕
〔02〕
〔03〕
〔04〕
〔05〕
一月十一日(土) 撮影
この朝は、
久し振りに本堂の内陣を拝観し、
秘仏であるご本尊の真下にある、
真っ暗な回廊を巡り、
そこにある「極楽の錠前」を触れ、
ご本尊様と結縁してきました。
また、「お朝事」から退堂される住職による「お数珠頂戴」も頂くなど、
行く先々で賽銭などを納めていたましたので、
財布の小銭はすっかり無くなほど、
この日は信心深く参拝しました。
重要文化財の「山門(三門)」、
人生長いこと善光寺に通っていますが、
この日初めてこの山門に登ってみました。
ところで、
一枚目の写真の「善光寺」という文字の中には、
五羽の鳩が隠されていますが、
皆様お分かりになりますでしょうか。
四羽までは容易に見つかりますが、
五羽目が難しいようですね。
安堵 [旅景]
十一月十七日(日) 撮影
十一月中旬に訪れた品川神社で撮影した写真、
今回が最後の写真となります。
約一ヶ月で十一回という長き間、
ご覧いただきありがとうございました。
最後の写真は、
予定していた撮影時間を大幅に超過している事に気が付き、
慌てて帰るその間際に撮った写真です。
小さな草が石垣に根を下ろし、
朝陽を受けて輝いている姿、
その色と輝きに目を惹かれ撮影しました。
どうということのない草の写真ですが、
この朝の撮影での感情が、
この草の光景に重なりました。
この一枚の写真は、
私にとって深き想いを記録することとなりました。
*
とうのも言うのも、
実は十月の終わりに右目の視力がなくなりました。
若干予兆があったものの、
兆候があってから五日目の事で、
翌日すぐさま眼科を受診しました。
一ヶ月後に手術をする事がすぐに決まり、
視力は回復するとの診立てでした。
再び目が見えるようになるとわかっていも、
人生において初めて受ける手術ということで、
手術に対する不安が募ります。
また、
これまで不自由なかった日常生活の様々な場面で支障が生じ、
仕事もまともに出来ません。
手術までの日々が長く感じられ苛立ちました。
時間があればついつい悪いことを考えてしまいます。
多くの人は右目が「効き目」だと思うのですが、
私もこの右目が効き目です。
ご存じの通り、
デジカメではカメラの背面にモニタ画面があり、
昨今はこの画面を見て撮影する事ができるようになりました。
私は趣味で三十年以上写真を撮ってきましたが、
今でもファインダーを覗いて写真を撮る事が多く、
私にとっては、
写真を撮るときに、
ファインダーを覗くという行為は欠かせない行為でした。
たとえ右目が見えなくなったとしても、
両目が見えなくならない限り、
写真を撮ることを止めるつもりはありませんでしたし、
これまでと同じように写真を撮る事ができるような気がしていましたが、
何よりも手術までの一ヶ月という時間があまりにも長く、
これまでのような写真を撮ることが出来なくなるのではないか、
時折そのような不安な気持ちが湧き出してきます。
そのような不安を払拭するには、
この不自由な目で写真を撮って試すしかないと思い、
この朝旅先の東京で、
昨年も訪れて好きになったこの神社に出掛けた次第です。
結果、
この朝の撮影は、
わかりきってはいましたがいつものような感覚はありませんでした。
目にする景色がよく見えない。
被写体を追って歩けば足先の極小さな突起に躓く。
慣れない左目でファインダーを覗いても被写体がよく見えない。
マニュアルでの焦点を合わせが上手く出来ない。
カメラを縦位置で構えると画面が傾く、
など、など。
いつもの調子で写真を撮る事が出来ませんでした。
したがって、
いつもより丁寧に、
一枚一枚、
写真を撮りました。
そうせざるを得なかったのですが、
それでも、
可能性を感じ取っていました。
写真を撮る技術的な障害は慣れで何とか出来ると思いました。
景色を見る感覚が鈍ってしまうことの不安を払拭するには至らなかったものの、
何とか自分らしい写真を撮ることを素直に喜んでいました。
撮影を終えて帰る間際の一齣、
「写真を撮ることが出来た」という安堵の瞬間、
この草に当たった光に「暖かさ」を感じ、
その色が深く心にしている様、
それが今日の写真であります。
*
この撮影の二週間後、
無事に手術を終え、
幸いに視力は回復しました。
以前のような見え方でないのが現実で、
完全な回復ではありませんが、
右目でファインダーを覗き撮影が出来るようになったことに、
喜びを感じています。
視力が回復したこと、
何よりも写真を撮ることが出来るそのこと、
その上再びファインダーを覗いて写真を撮ることが出来るようになったこと、
心より感謝しています。
*
私的なこと故、
書こうかどうか随分迷いましたが、
この十数枚の写真に込められた心情、
写真の裏側にあった背景を、
言葉として添えておくことにしました。
写真と共に私的な長文、
最後までお読み頂きありがとうございました。
狐影 [旅景]
〔01〕
〔02〕
十一月十七日(日) 撮影
背景は朝陽に照らされた地面、
その中に稲荷社の狐を落として撮影しようと試みました。
けれどもその地面には、
周囲にある何かの影も落ちていました。
その影はちょうど狐の口元にあり、
二つの影を引き離そうと立ち位置を変えてみましたが、
上手く行きませんでした。
それでもこの光景が気に入りましたので、
数枚の写真を撮りました。
狐の表情は求めません。
狐は影にすることは考えなくても決まっていました。
前の記事で書いたような露出の迷いは、
この場面ではありませんでした。
紙垂 [旅景]
十一月十七日(日) 撮影
神社などに行っては、
飽きもせず同じものを撮っている。
好きなものを好きなように撮る。
ただそれだけの事だけど、
心底うれしい。
*
それにしてもこの「紙垂」、
その形といい、
その色といい、
どのように撮っても絵になる気がする。
特にその紙の色は、
強い光が当たれば白く輝き、
また、沈み込んだ光の中でも、
神社の薄暗い空間に浮き立つ。
その白さに魅せられ、
この朝にも紙垂の写真を撮った次第です。
水鉢 [旅景]
〔01〕
〔02〕
十一月十七日(日) 撮影
神社にある手水鉢、
鳥居や紙垂のように、
その手水鉢を覗き込んでは、
写真を撮ってしまう癖があります。
*
モノクロフィルムで撮った事がありませんが、
カラーでモノクロ写真を撮る事が出来たらなどと、
考える事があります。
小景 [旅景]
十一月十七日(日) 撮影
石で出来た水鉢。
その小さな水面に映った空と木立。
強い光りの存在に浮き立つ景色が好き、
そうした写真を好んで撮りますが、
こうした何気なく、
小さな景色を見るのも好きです。