妻有 [心景]
2012 越後妻有「大地の芸術祭」の記憶 その八
私的な記事のため、
長大な記事となっています。
お時間に余裕のある方はお付き合い下さい。
芸術祭の記事を作ろうと思い、
写真整理をしていましたが、
ある作品の写真が見つからず、
これでは不完全だと思い作業を中断していました。
何度探しても見つからずいつしかこの記事の事も忘れ、
時折思い出しても気乗りせず三年近くの時が過ぎてしまいました。
ようやく重い腰を持ち上げ書き始めて更新し始めた所、
何かの拍子に探していた写真が先日見つかりました。
大地の芸術祭の記事の最後に、
その作品の写真と、
記事にはならなかった写真、
また、作品とは関係のない写真など全てを一つにまとめてみました。
〔01〕
公園の片隅に、
円錐形の鉄板を逆さまにして、
そこに水を張り鏡を浸します。
そうした物体が芝生の上に幾つか並べられていました。
その南側、
つまり、太陽がある方向には弧を描くように布が張られています。
〔02〕
その布の中に潜り込みました。
張られた布の南側にはこのようにたくさんの穴が開いていて、
そこから光が差し込みます。
布には星空のような模様が広がり、
芝生の上にも同様の模様が広がります。
そして、その真っ暗な布に、
外に置かれた水鉢の鏡から反射した光が七色に映っていました。
〔03〕
布の中には藁で作られた物体が吊り下げられています。
その七色の反射光に照らされる物体。
何を意味するのか解することはできませんが、
その精神性は何かしら伝わって来ます。
〔04〕
その物体に近寄って注視します。
〔05〕
七色の光を背景に、
その影を見つめます。
〔06〕
様々な関わり合いの中に、
自分の影を落とし込みます。
〔07〕
お決まりの自分の影を撮影して、
この場所に存在した自分を記録します。
〔08〕
場所が変わって、
この古い写真。
昔の人たちの集合写真。
皆硬い表情ですが、
これが良き日本人だと思います。
〔09〕
此処を構成する空間の全てが黒板になっています。
此処は教室なのですが、
そこに置かれた地球儀まで黒板になっていました。
此処を訪れた人は、
その黒板に自由に書き込むことが出来ます。
〔10〕
これは極私的な写真です。
〔11〕
何だか写りが悪いのですが、
建物を取り巻くビビッドな色の物体。
その色にカメラのセンサーも負けたようです。
此処は松代にある常設の会場。
子供が楽しめる場所もあって、
二歳の娘も楽しんでしました。
(平成二十四年)八月五日(日) 撮影
〔12〕
芸術祭の中心地は十日町にある「キナーレ」という施設。
その一部は芸術祭の常設会場もあり、
言わば芸術祭の核となる場所でもあります。
〔13〕
そこで展示されていた作品。
透明な箱の中に、
小さく切り抜いた銀色のシートあり、
〔14〕
その箱の底にはそのシートがたくさん積もっています。
〔15〕
その底から時折風が吹き出して、
この銀色のシートが箱の中を舞うという仕掛け。
意味など分かりませんが、
楽しい仕掛けです。
そして、この銀色が写真的にも好きで、
実際よりも随分暗く写真に撮って、
私も楽しませて貰いました。
〔16〕
光物が好きな習性。
光を切り詰め写す。
〔17〕
様々な場所で採取した土が入った採取ビン。
知ってはいても土にはたくさんの色がある物だと感心させられます。
〔18〕
理髪店の店先にあるあの三色の回転灯。
その中に入り込む感覚の作品。
此処は楽しい空間です。
〔19〕
口の字形状に建つ建物の中庭は、
普段水を貯めて池となっているのですが、
芸術祭の期間中、
水の代わりに古着で埋まっていて、
この一端にクレーンがあり、
そのクレーンが古着を掴んでは持ち上げは落とすという、
ただそれだけを繰り返すという作品。
不思議な空間に不思議な光景。
当然写真では伝わらないのですが、
古着の微妙な匂いが立ちこめていて、
その匂いがこの空間の雰囲気を引き立てています。
〔20〕
夥しい古着の数です。
〔21〕
掴んでは持ち上げ落とす。
ただひたすらその動作を繰り返しています。
〔22〕
二歳の娘はこの奇っ怪な光景を目の前にして、
しばらく立ち尽くして見つめていた。
何か心惹かれるものがあった様子でした。
(平成二十四年)八月十三日(月) 撮影
〔23〕
下手をすると二時間ほど列車がやってこない飯山線の「下条駅」。
芸術祭の登りと、
黄色い三角形の旗が青い空に栄えます。
心地よい風が吹き渡りその旗が揺れていました。
〔24〕
青い空に伸びる屋根。
実用的な空間を持たない建物の屋根。
青い空と雲を優先に切り取ると屋根の収まりが悪い構図となってしまいます。
空の色は良いだけに別の構図を探ります。
〔25〕
構図を優先すると空が今一つの表情になります。
〔26〕
仕方がないので萱に接近してみます。
〔27〕
雲が風に流され、
空と構図が折り合いました。
〔28〕
私のカメラが傾いているのではありません。
屋根葦は渦巻き状に葺かれているので、
必然斜めになるのです。
〔29〕
茅葺屋根の隣の作品です。
アジアの香り漂う屋根が空に伸びています。
〔30〕
その建物の中に入り込むと、
映画のフィルムで壁が作られていました。
〔31〕
アジア的な木像。
〔32〕
こちらもアジア的な木像。
それをアジア的な撮り方で望んでみました。
このような試みに至る思いがこの芸術祭の楽しい所です。
〔33〕
場所が変わってこちらは「フロッタージュ」の会場。
物体の上に紙を乗せ、
画材にてその物体の表面の文様などを浮かび上がらせるもの。
ここでは訪れた人もフロッタージュに参加可能で、
植物の葉を色鉛筆でフロッタージュすることができます。
出来上がった作品を切り取り、
窓から差し込む光に葉が浮かび上がります。
〔34〕
フロッタージュした葉を一枚一枚切り取り、
それを壁に貼り埋め尽くします。
〔35〕
部屋の壁が外の風景と一体になって見えてきました。
〔36〕
場所を変えてこのフロッタージュは二回展示されていました。
今年もこのフロッタージュは展示されるのでしょうか。
もし展示されていれば、
二歳の娘は前回このフロッタージュに興味を示さず、
試してみることが出来なかったので、
今年はこのフロッタージュに興味を示し、
一緒にフロッタージュをやりたいと思っています。
〔37〕
私が負けた空間です。
〔38〕
古い民家の空間。
〔39〕
あるはずの無い物体が空間を占領していました。
〔40〕
空間を埋め尽くすようにその物体は占領していました。
〔41〕
光りを閉ざしたその空間に冷たい金属の質感。
〔43〕
ステンレスのワイヤーが張られています。
〔44〕
この金属の質感が強すぎて、
私の心は閉ざされました。
〔45〕
興味を惹く空間なのですが、
空間と物体が異質過ぎます。
〔46〕
光りが少なく、
上手く写真に撮ることが出来ませんでした。
こちらの鑑賞は五名ほどの入れ替え制で、
時間が限られていました。
何かと自由が利かず、
思うように写真を撮ることが出来なかったのですが、
気持ちが乗らなかったのが一番の原因だったと思います。
〔47〕
ここも興味のある空間、作品でしたが。
その想いを写真に写すことが出来ませんでした。
帰宅してからもインターネットを使ってこの作品と関わる仕組みもあったのですが、
何がどうだったのかすっかり記憶が失われてしまいました。
(平成二十四年)八月十五日(水) 撮影
〔48〕
あの日の空です。
〔49〕
芸術祭を駆け巡りながら、
こうして時折空を眺めます。
〔50〕
様々な作品を堪能しつつも、
こうした空の印象がまた深いのです。
〔51〕
九月初めの空ですが、
すでに秋の雲です。
〔52〕
今年も色々な空と出会えるでしょうか。
(平成二十四年)九月八日(土) 撮影
〔53〕
小さな小学校の校舎。
山深く小さな集落の分校だったのだろうか。
また、雪深い冬の間に通っていたのか。
その外壁には、
そこに住む人たちやそこに咲く花の写真を大きくプリントして、
外壁いっぱいに貼り付けてありました。
〔54〕
山村の風景。
家の周りに平らな所がほとんどありません。
見上げると、
緑色がいっぱいで目に優しくその色が染み込みます。
〔55〕
あの彫刻刀の鑿でただひたすら彫られた家の玄関口には、
蚊取り線香が焚かれ、
その煙が風に外に流れ出ていました。
〔56〕
玄関先にはススキが一輪ありました。
〔57〕
妻有の山里。
冬は早く、
雪深い。
〔58〕
妻有の風景。
この風景が懐かしい。
〔59〕
夏の青い空に白い雲が流れていた。
あの夏空が懐かしい。
〔60〕
三年前、
娘、二歳。
当然ながら小さかった。
その姿も懐かしい。
〔61〕
あの夏の良き思い出。
今年も一緒に駆け廻ろう。
(平成二十四年)九月十六日(日) 撮影
今年の大地の芸術祭が一月後に迫ってきました。
仕事が詰まっているので週に一回記事を更新するのがやっとでしたが、
何とか三年後に記事をまとめることができました。
撮影した写真すべての中からまとめ上げることができたので、
私的には満足であります。
今回この記事をまとめながら、
写真を撮ることに夢中で、
集中して作品を見ていないことに対し反省をしていました。
次回は写真を撮ることは控え、
もっとしっかりと作品と向き合おうなどと考えていましたが、
こうして記事をまとめ上げると、
写真があることで記憶に残ることも多いことにも気付きました。
さて、今年はどのように作品と向き合うか、
あとひと月の間に考えたいと思います。
長きに渡り記事にお付き合いいただきありがというございます。