朝社 [社景]
〔01〕
後姿。
〔02〕
朝陽を仰ぐ、
この銅像を背後から見るのが好きです。
〔03〕
その像は「上杉謙信公」の銅像であります。
正面から見るより、
背後から見る方が好きです。
〔04〕
再び背後の光景。
この葉の姿形と光の具合が良いのです。
〔05〕
それ故、
何枚も写真を撮ってしまいます。
〔〕
〔06〕
立ち位置を変えながら、
光りの具合を探ります。
〔07〕
少々ピントが合っていませんが、
それも良しとします。
この日の自分の記録ですから。
〔08〕
光と影、
それが狙いですが、
自分の想いを写真に込めることが出来ませんでいた。
それでも私に取っては、
意味のある一枚なのです。
〔09〕
どうと言う事のない写真ですが、
私にとっては貴重な写真です。
この後に何かに繋がる写真であります。
〔10〕
手水舎の水鉢に落す光と影。
〔11〕
手水舎の水鉢に落す光と影。
このように小さな世界を覗き込んでは楽しんでいます。
〔12〕
圧倒的な景色ではありませんが、
在りのままの(この場所、
何度も足を運んでは好きなように写真に撮っています。
九月十四日(土) 撮影
朝社 [社景]
今年の夏は仕事に追われ、
仕事以外には何も考える事が出来す、
また、何をすこともなく、
慌ただしく通り過ぎていきました。
夏の前半は猛暑が続き、
異常とも言える猛暑が一夏続いたらどうなるかと心配しましたが、
盆前にその暑さも和らぎ安堵しましたが、
多忙な仕事は八月いっぱい、
二ヶ月ほど続きました。
そのような忙しい仕事も落ち着いた九月、
中旬になってようやく自由な時間を持つ事が出来るようになりました。
三ヶ月振りとなる連休の朝、
近所の神社へ、
久し振りにカメラを携え写真を撮りに出掛けました。
出掛けた先は自宅から距離にして四キロほどの春日山へ行きました。
いつもなら、春日山神社へと続く坂道を、
アクセルを踏んで駆け上って行くのですが、
この日は少し考えがり、
その坂道を歩いて登る事にしました。
春日山城跡のある山の麓には、
延命水が湧き出ていて、
その水を汲む場所があります。
そこには駐車場もあるので、
そこに車を停めて歩き出しました。
延命水を汲みに来ている人を、
春日山を訪れる度によく目にしていましたが、
自分ではその水を飲んだり汲んだりしたことがありません。
その水を汲むすぐ脇には、
その湧き水が溜まっているのでしょうか、
池と呼ぶほどではありませんが、
水が堰き止められ溜まっている場所がありました。
その水面を覗き込んでいると、
雨粒が落ちて来ました。
先ほどから少し気に掛かっていた僅かな雨雲が、
いつの間にか頭上にありました。
水面に映り込む明るい空と木々の影との対比、
そこに雨粒の波紋。
草の緑色がそこ縁取る様を、
この撮影の最初の一枚として写しました。
実は、駐車場に車を止めたときに、
この池の先に、
朱色の鳥居が見え、
その場所が気に掛かっていました。
ただ、少し荒れていて、
人が立ち入るのを拒んでいるように感じられ、
また、入り口にはロープが張ってあったので躊躇したのですが、
朝日が差し込み光の具合が良かったので、
張られたロープの端の脇からその場所へ入り込みました。
〔01〕
延命水が湧き出る山の麓。
その水の溜まる小さな池に朝陽が映ります。
〔02〕
空の明るさとは裏腹に、
その水面に雨粒が落ちてきました。
〔03〕
人が立ち入るのを拒むような暗く少し荒れた場所に立ち、
この先へ行くかどうか躊躇する。
〔04〕
朝陽が差し込み、
陰影濃いその場所に心惹かれ足を踏み入れます。
〔05〕
紙垂から空気が滞留し、
その空気の湿り気を感じます。
〔06〕
鳥居、注連縄、紙垂。
光と影。
〔07〕
紙垂が浮き立つ光景は、
神社において目を惹きます。
〔08〕
「白山社」、
光を受けて鳥居の額も浮かび上がります。
〔09〕
鳥居の割れ目に光が差し込みます。
〔10〕
石に苔結す、
その長い時間。
〔11〕
鳥居から差す朝陽の神々しさ。
清々しさ。
〔12〕
足元の草葉にも雨粒が落ちていました。
〔13〕
地を這う鳥居の影。
光軸と鳥居の配置。
〔14〕
我が影を地に落として。
〔15〕
反りの美。
こうした意匠を生み出した昔の人達の、
感性、感覚を感じ取ります。
〔16〕
鳥居に注連縄。
石という物の硬さと、
注連縄を結ぶ心の堅さを感じます。
〔17〕
なんと言うこともない景色も光があれば、
鳥居の様々な姿を写し撮ることができます。
〔18〕
苔の列に光が当たり浮き立ちます。
〔19〕
数は少ないものの、
鳥居の重なりに魅せられます。
〔20〕
朱塗りの鳥居が浮かび上がります。
背景に石の鳥居も浮かび上がります。
〔21〕
遠巻きに見る石の鳥居。
重々しく、
威厳のある姿に見えました。
〔22〕
神域を離れ再び湧き水の池に、
再び雨粒が落ちてきました。
〔23〕
雨が気になりますが、
池の水面の気になります。
〔24〕
水面の映り込みと草の影。
そこに差し込む光の粒。
〔25〕
草の影だけではなく、
周囲の木々の影も取り込みました。
〔26〕
映り込みの具合を少しずつ変えて、
たくさんの写真を撮りました。
九月十四日 (土) 撮影
此所は、
鳥居がいくつか建っていましたが、
行き着いた先には小さな祠があるだけで、
境内を仕切る塀などもなく、
木立と藪の中に埋もれている場所でした。
春日山へはもう何度も訪れていて、
特に、ここ数年は春日山神社へと、
年に何度も通った撮影の行き帰りに、
この脇を通っていたのですが、
この場所の存在に気付きませんでした。
この場所が特に気に入った訳でもなく、
再び撮影の為に出掛けるどうか分かりませんが、
これからはここを通るときには、
気に掛けて光の具合を確認する場所にはなると思います。
*
写真を撮る目的で出掛け、
写真を撮ることが、
本当に久し振りで、
約四ヶ月振りのことでした。
写真を撮る感覚をすっかり忘れてしまい、
カメラの操作など戸惑う場面もありました。
結果、この日は思い通りに写真を撮る事が出来ませんでしたが、
それでも気に入った写真を数枚撮ることが出来ました。
少々自分の写真に対する考えもありますが、
何はともあれ、
写真は続けて行きたいと思います。
包光 [社景]
六月九日(日) 撮影
目記事と同じく草花の写真です。
何気ない草花が好きだと言っても、
このような写真を撮って喜んでいるのは、
「自己満足」と言えば言葉柔らかですが、
「自己陶酔」と言っても外れていないかもしれません。
そうした写真への強い思い入れとは裏腹に、
その写真に付ける題名があまりにもいい加減で、
その多くは私の造語であります。
二文字の題名にこだわるが故、
少々苦労しておりますが。
漏光 [社景]
〔01〕
〔02〕
六月九日(日) 撮影
先の記事では労いのお言葉をたくさん頂きありがとうございました。
いくつ以下の体調不良を抱えている現在ですが、
その内の一つを完治させるには手術が必要ということで、
手術のことを考えると少々気が滅入る今日この頃です。
輝光 [社景]
六月九日(日) 撮影
春日山神社での撮影。
神社拝殿屋根が光っていたので、
その上に紅葉の葉を乗せて撮影しました。
*
昨日、一年に渡るプロジェクトの終点を無事に迎えました。
まだ残務整理が残っていることと、
追加のプロジェクトが今年の終わりまで続き、
気を抜くことが出来ません。
この一年はとにかく仕事に拘束され、
自分私的な時間がほとんどなく、
趣味の写真などに手を出すことが出来ませんでした。
そんな中でも、何とか家庭の事には時間を割き、
出来るだけのことはやってきたと自分では思っているのですが、
家族にとってはきっと不満があると感じています。
この先、少しは人並みに休暇を取ることが出来ると思うので、
家族のことも、自分のことも、
少しずつこの一年の穴埋めをして行きたいと思います。
ただ、この一年の仕事の影響か、
いくつかの体の悪いところが出ていまして、
その対応をしなければなりません。
すでに病院通いをしていますが、
他にも受信必要な診療科があります。
時間を見つけて体の点検と治療を合わせてしたいと思います。