妻有 [心景]
越後妻有 大地の芸術祭 その一
先週の日曜日、
「越後妻有 アートトリエンナーレ2009」に行ってきた。
過疎地に突然現れたアートに、
刺激を与えられた我が脳、
少し柔らかくなったような気がします。
〔01〕
〔02〕
人生という階段を、
今、
私は登っているのか、
それとも、
降りているのだろうか。
*
しばらくこの「越後妻有 大地の芸術祭」を記事にしたいと思います。
最近写真を撮っていないので、
こうして数少ない写真を小分けにして記事を綴って行きたいと思います。
解放 [心景]
四月七日(火)、
出向勤務満了の日、
ついに出向勤務が終わりました。
予定より一週間遅く解放されました。
その日、我が身が解放されることを祝うように空は青く晴れていました。
午前中に仕事を片付け、
午後から荷物の整理をし、
まだ空が十分に明るい内に出向勤務地を離れました。
春の海でも見ながらゆっくりと走ろうと、
普段通勤で使っていた高速道路ではなく海岸線に添って走る一般道で帰ることにしました。
殊更海や空が青くきれいに見えたのは、
この日の天気が良かっただけではなく、
心の解放感から一層その青さが印象的に見えたのでしょう。
ようやく私にも春が来た、
そのように感じられました。
〔01〕
明るい空、
波も緩やかで、
どこかしら優しさ漂う春の海、
何と言っても冬の海とは違い柔らかい色合い、
深い海の青さえ心和らげてくれます。
普段の通勤でも時間ではなく、
心に余裕があるときには、
帰路にこの一般国道を走ることがありました。
けれども普段は、特に日の短い晩秋から冬の間は、
すっかり日が暮れた夜の暗い道を走るばかりで、
こうして明るい時に走り、
海を眺めるということがありませんでした。
夜であっても完全な暗闇ではなく、
月明かりに輝く波を見ながら帰る事もありましたが、
こうした日中の時間に余裕を持って走る事はなく、
気になる光景を目にしても、
車を停め写真を撮るという余裕は持ち合わせていませんでした。
この日は時間にも余裕があり、
何しろ日中の明るい道を走るのですから、
思い立った所で車を停め、
海を眺め潮の香りを嗅ぎながら、
写真を撮りながら帰宅する、
それこそ緩やかな時間を過ごすことが出来ました。
敢えて自分の心に余裕があることを言い聞かせ、
車を停め時間を掛けながら帰って来ました。
〔02〕
どこまでが海で、
どこからが空なのか、
遠く霞み水平線を見ることが出来ません。
海沿いの道を走り写真を撮りました。
けれども目にして感じた事と合致する写真を撮ることが出来ませんでした。
思惑通りに事は運ばないと、
少々落胆しましたが、
今日記事にする写真を撮った場所、
それは最後の撮影ポイントと決めていた場所で撮影した写真は、
光の具合など上手い具合に演出してくれました。
この日海沿いの道、
楽しみが一つあり、
能生という漁港で蟹を買うこと、
石川や福井で言うところの本ずわい蟹とはいかないが、
この地でえ良く獲れる紅ずわい蟹を買って帰ろうという楽しみ、
味は本ずわい蟹に及ばないかも知れないが、
安価で手軽で存分に蟹を堪能できる紅ずわい蟹、
出向期間協力してくれた家族への感謝の気持ちを込めて持ち帰ることにしました。
〔03〕
解放された我が身が左下の枯れ草に映っています。
この広い海と空を望めば、
自分の存在や悩みなど如何に小さいものかと気付きます。
残念ながら既に次の仕事が始まっています。
余裕のある帰路でしたが、
帰社して次の仕事の為、
一つ寄らなければならない所がありました。
もちろん明日からその仕事をするために、
次の仕事の客先への挨拶に伺う約束があったのです。
*
いつかこうした記事を書くことを楽しみに、
出向期間はそれを楽しみにしごとをして来ました。
ブログでは書かなくてもよい愚痴に、
みなさまからたくさんの励ましを頂き、
ずいぶんと支えになりました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
余韻 [心景]
日曜日の散歩、
楽しんでいたのだけれど、
ある思いがあって陽の落ちない内に帰宅。
けれども空の表情が気になり、
家の裏に広がる田圃を歩いてみました。
散歩の余韻、
もう少しだけその楽しみを写真に閉じ込めようと思いました。
〔01〕
〔02〕
〔03〕
冬の色濃くなる頃、
晴れ渡った空に心動かされ、
その色の鮮やかさに居たたまれず出掛けた日曜日の散歩、
久し振りに自分の心が欲するままに写真を撮ることが出来ました。
辺りの光が失われない内に帰宅しましたが、
もう少しだけその余韻を楽しみたいと思い、
我が家の裏に広がる田圃を歩いてみました。
普段何の感慨もなく見ている田圃、
こうして歩いてみると、
自分では想像することの出来ない光景が広がっていました。
その光景を自分の心象に合うよう切り取って見ました。
良くも悪くも自分自身の写真です。
そうした極私的な写真ですが、
私に取っては記憶に残したいそれぞれの場面であります。
暮時 [心景]
前記事で歩いて登った坂道、
その先には更に小さな坂道がありました。
更にその坂道を歩きます。
〔01〕
気づかぬうちに光は暮れ色を帯びていました。
光る壁に落とす影、
姿と影の区別が付かないほどの陰影です。
〔02〕
朽ちかけた物置の屋根、
昨夜の雪が解けその軒先から滴となって落ちていました。
その滴を透かして夕陽を見つめました。
〔03〕
坂を登り切り沈む夕陽を眺めます。
〔04〕
別の坂道との岐路、
廃屋に映る夕陽が目を惹きつけます。
〔05〕
かつては暖かな灯が点ったであろうその窓硝子、
二度と灯りは点らないのでしょう。
〔06〕
主を失った廃屋に冬が訪れても命は宿り、
寒さの中でもしっかり生きています。
〔07〕
坂道を離れいつも立ち寄る寺院の境内をすり抜けました。
太陽が西の空を随分下っていたので、
光のある内に海を見たいと思い、
海の見える崖の上を目指し歩きます。
その小道の薄暗い路傍で見付けた花、
寒々とした空間にその色は、
急ぐ足を引き留めます。
〔08〕
何とか光のある内に目指す崖に辿り着きました。
いくつもの雲が浮かび、
真横から受ける光に陰影が浮かび上がります。
心には何も浮かばず、
ただ静かにこの空をしばらく眺め家路に着きました。
*
今日の更新に時間が足らず、
粗雑なコメントを付することしか出来ませんでしたが、
写真だけでもご覧頂けると幸いです。
坂道 [心景]
とにかく久し振りの散歩なので、
嬉しかったことは確か。
僅かな時間であったけれど、
たくさん写真も撮ったので充実した時を過ごすことが出来ました。
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〔06〕
〔10〕
散歩でよく訪れる場所に、
細く急な坂道があります。
通る人はほとんど居らず、
これまでこの坂道で人と出会った事がありません。
この日空は冬晴れ、
一人気に入りの散歩道を歩きます。
澄み渡った空が頭上に広がり、
通り過ぎてしまうには惜しい光景がたくさんあり、
この坂を何度も坂を登ったり降りたり、
前を前を見たり振り返って見たり、
ゆっくりと歩き登りました。
僅かな距離の坂道をじっくりと時間を掛けて写真を撮りました。
空気の冷たさはは心を引き締めます。
その冷たさも心地よく感じる光の存在を感じながら、
好きな写真を撮る。
僅かではありますが幸せな時間を過ごすことが出来ました。