片道 [町景]
三月の初旬、
事情がありまして片道の散歩に出掛けました。
所要があり目的地まで自家用車を使わずに行く必要があったのですが、
普通であれば家人に送ってもらうところですが、
この日の朝は晴れていたので、
運動不足解消に徒歩で行く事にしました。
目的地までの道順は、
私の住む町の特徴的な建物形式である「雁木」が備わった道を辿る事にしました。
この「雁木」についての説明は、
後で簡単に触れるので此処では割愛いたしますが、
詳しく知りたい方は「雁木」(がんぎ)を検索して調べてみてください。
さて、この雁木が備わる通り、
実は数日前にもある思いがあって歩いていました。
かつての城下町に連なる街並みの、
端から端まで備わっていた雁木、
現代でも歯抜けになった場所がありますが、
現存する雁木通りを端から端まで歩いてみようと思い立ち、
二月の終わりに歩きました。
この雁木のある街に六十年近く住んでいて、
この雁木のある通りの様々な意匠や情緒、物語を見て、
感じていることがありながらも、
それを見る事を目的として歩くことなどなく、
それを写真として記憶するという思いはあっても、
なかなか実行に移すことが出来ずにいました。
幸いにこの冬は、
雪が少なく足元が良く、
仕事にも余裕があり私的な時間を持ち合わせていたのでこの思いを実行する良い機会でした。
往復10キロに及ぶので、
歩くことと雁木を観ることに専念するため、
その日は歩行にカメラを携えてるのは止めました。
このような下地がありましたので、
時間に余裕を持ち、
片道散歩では写真を撮りながら歩くとにしました。
〔01〕
雁木通りまでの道すがら、
空模様を眺めながらしばらく歩きます。
〔02〕
「北本町一丁目」
現存する雁木の一端は北本町三丁目から始まります。
もう一端の南本町を目指し少し歩いた所、
醤油味噌店が残っています。
先のブログでもこの店の前で写真を撮っていますが、
実はこの店には少々想いがあるのですが、
その話はまた何れの折にいたします。
〔03〕
「本町七丁目」
醤油味噌店のある交差点を折れ本町通りへ渡ります。
冬枯れに葉を落とした木の枝、
その枝が描く姿形、
重なりが美しく、
立ち止まって眺めたくなります。
〔04〕
「本町七丁目」
現在の住居には四十年近く前に引っ越しましたが、
そのころからある建物で、
当時中学三年の私は信用金庫だと思い込んでいました。
雁木の形式は備わっていませんが、
玄関が後退しているので、
建物そのものが雨除けの軒となっています。
〔05〕
「本町六丁目」
他の記事でも紹介しましたが、
築百三十年の映画館。
きっと現存する最古の映画館の一つです。
〔06〕
「本町六丁目」
映画館の目の前にある町家交流館。
市が古い町屋を再生した観光用の施設。
集会所、催しを行うことの出来る小さなホールなどが備わり、
私も散歩の途中によく立ち寄る施設であります。
〔07〕
「本町五丁目」
当地の中心地交差点の一角に立つホテル前にある観光案内看板。
地元出身の童話作家「小川未明」の説明と生誕の地への案内看板。
実は小川未明の童話をじっくりと読んだことがなく、
こうした看板を目にするたびに読まなくては思いながらも、
未だにその思いを果たしていません。
〔08〕
「本町二丁目」
この光景は、
五階建てコンクリート造の衣料店が解体された後、
随分前から見つけていたのですが、
子の散歩で初めて写真に撮る事ができました。
〔09〕
鉄製の筋交いが壁の中に半分埋まっています。
どうしてこうなったのか考えてみますが、
真剣に考えていなので自分なりの答えを見出すに至りません。
〔10〕
「本町2丁目」
雁木の床に敷き詰められた石。
産地などは分かりませんが、
商店が連なる本町通りでは多くの場所でこの敷石を観ることが出来ました。
下水道工事が行われたのを機に、
多くの姿を消したように思われますが、
軒先が土埃で汚れないための目的もあったと思われるので、
やはり財力の象徴だったように思われます。
〔11〕
店の出入り口の正面に坐する石は大きく、
それなりに威厳を感じます。
〔12〕
「本町二丁目」
モルタルの塗られた雁木。
意匠が凝っているのもやはり商店ならでは。
この店は化粧品と玩具の店、
何故この取り合わせなのかは分かりませんが、
子供の頃からこの店の前に通る度、
玩具やゲームをよく眺めたものですが、
この店で玩具を買ってもらった記憶はありません。
〔13〕
「本町二丁目」
通りの両側が数十メートルだけ広がっている場所、
何故こうした形になっているかは失念してしまったので、
また別の機にご紹介したいと思います。
〔14〕
〔13〕の写真を撮った向かいにある文具店。
「紙店」と名乗り、
古くも間口の大きな店なので、
歴史ある店のようです。
店先の風格ある木製の看板をいつか写真に撮りたいという、
記憶のための撮影しました。
〔15〕
「本町二丁目」
「雁木」は、
雪深い土地における、
積雪期の通行を確保するために設けられた歩廊で、
誰もが通ることのできる歩廊が、
厳しい気象条件に対応するために、
自然に生まれた形式でありながらも、
私有地に設けられているその精神に意義があります。
現在は地方の商店街はシャッター通りと化していて、
人口の減少と合わせ、
建物の姿を消している場所も点在し、
残念ながら雁木が歯抜けになっています。
雁木存続の為に行政は、
雁木を残すために所有者を対象にした資金援助の制度を設けていますが、
建物自体が無くなってしまうのですから、
雁木が無くなることも仕方がありません。
それでもこの写真のように、
建物が無くなっても雁木だけが残る場所もあり、
精神まで無くなっていないことに感じ入ります。
〔16〕
「本町二丁目」
同じ場所での姿。
建物は現代的な形式となり、
姿形式は違っても、
雁木の精神と機能が備わった姿。
家主の方の思いが伝わります。
〔17〕
「本町二丁目」
東本願寺高田別院門前にて、
本町通りから寺町方面を眺めます。
嘗てはここから突き当りにある寺院の門まで、
参道脇はこの寺院の敷地であったそうで、
その繁栄ぶりをうかがい知ることが出来ます。
小学生の頃には、
秋の報恩講になるとこの通りには露店がびっしりと並び、
見世物小屋や子供の気を引く食べ物屋やゲームをやる店などがあり、
親から貰った小銭を握りしめ出掛けた事が懐かしく思い出されます。
近年ではこの通りに露店が立つことは無くなり、
境内でひっそりと数件の露店が立つのみとなり、
嘗ての報恩講の賑わいは消えました。
〔18〕
「本町二丁目」
昔、蝋燭店があった場所。
店先には赤い蝋燭を模した看板が雁木の軒先に吊り下げられていた姿がありました。
店の前を通ると蝋燭の匂いがして、
店を覗き込むと薄暗い空間に小さく、
蝋燭を作る釜などの道具のある空間がおぼろげに浮かび上がります。
その店の作業場は、
長野県の小布施にある「明かり資料館」に移され、
その姿を残しています。
〔19〕
「本町二丁目」
嘗ては北国街道の通る城下町、
起源が分からないので、
その名残かどうか分かりませんが、
町には多くの旅館がありました。
現在も営業している旅館が数件ありますが、
玄関戸が閉まったまま姿を残す旅館があります。
城下町時代の旅籠を起源としているならば、
泊り客の姿もずいぶん変わったことでしょうが、
嘗ての繁栄を思うと、
こうした姿は寂しい限りです。
〔20〕
「本町二丁目」
中心地を少し外れると、
こうした古い時代の残像が結構残っていることに気付きます。
こちらは「退蔵院」、
記憶が定かではありませんが、
昔は通りに面して別の建物、室礼があったように記憶していて、
一種、異様な光景があったような気がします。
〔21〕
「本町一丁目」
こちらも古くは商店だったと記憶しますが、
現在店はなく、
その面影となるガラス戸の意匠に目を惹かれます。
こうした模様のガラスも現在では貴重です。
〔22〕
「本町一丁目」
昔住んでいた場所に近付きました。
想い出や印象の多く残る場所、
歳を取る毎に失われていくそうした記憶が、
薄れないうちにいつか写真を撮って歩きたいと思っていましたが、
それを実現するための一歩となりました。
正面にあるのは通った小学校。
改修工事などで当時の色合いは残っていませんが、
見ると幾つかの記憶が思い起こされます。
〔23〕
「本町一丁目」
清掃の行き届いた店先に足が止まります。
〔24〕
磨きこんだガラスが美しく。
店先を鮮明に見ることが出来ます。
通りすがりの者の心も清らかになり、
思わず写真を撮らせて頂きました。
〔25〕
通った小学校を通りの突き当りに見つめます。
数年前の文化祭に足を運んだことがありますが、
許されるならば、
学校の中を歩き写真を撮りたいものです。
〔26〕
「本町一丁目」
春日神社参道前。
こちらの神社の祭りにもいくつか想い出があります。
今でも記憶しているのは、
私が人生で初めて聞いたエレキギターの生の音、
夏祭りに神楽殿で若者が弾いていました。
初めて聞くエレキギターの音、
ギターアンプから発せられるその音に釘付けになりました。
今でも何故だかこの時の記憶が鮮明に残っています。
〔27〕
「本町一丁目」
「襖紙商」の立派な木看板。
下の壁のコンクリートブロック一個の長さが40センチですから、
幅は二メートル。
このような立派な看板が道路に面して掛けられていないので、
この店の前を車で通り過ぎても気付くことがありません。
この日歩いて初めて見つけることができました。
現在は店先の商売ではなく、
壁紙を扱い建築現場に届けている会社、
創業はいつなのか、
起源はいつなのか少々気になります。
〔28〕
「南本町三丁目」
本町通りの終わり一丁目、
突き当りには嘗て通った小学校があり、
その校門前を左を左に折れ歩きます。
本町と背中合わせの東側は大町。
大町通りの一端にある石仏が祀られた祠が、
車の往来を見守る様にして、
通りの始まりの片隅にひっそりと建っています。
〔29〕
「南本町三丁目」
こちらの店先は、
創業が江戸時代で「高橋孫左衛門商店」という飴屋です。
「東海道中膝栗毛」の著者である十返舎一九も訪れ、
「越後道中記・金の草鞋」に記されている三百年続く飴屋です。
店先の小さな雛飾り、
数日前の散歩で見付け、
雛飾りのあるうちに再訪し、
写真に撮りたいと思っていましたが、
思うように撮る事が出来ませんでした。
〔30〕
「南本町三丁目」
木製細工の製品を作る店で、
店の前を通るたびにたくさんの神棚がおいてあるのを、
昔から目にしていました。
昔は店の名を確か折箱店と名乗っていたように記憶しますが、
現在の店主は私と同じ年代で、
ホルツンと名乗っています。
〔31〕
「南本町三丁目」
城下町のせいか、
現在でも菓子店が割合多くある様に思います。
こうした小さな店もあり、
普段はなかなか立ち寄ることがありませんが、
近所に以前この町内に住んでいた方がいらして、
こちらの店の話をしたことを思い出し、
一月に散歩で通った時に洋菓子を買いました。
その記念にこの日一枚写真を撮りました。
〔32〕
「南本町三丁目」
こちらは何の店なのか、
はたまた会社なの分かりませんが、
ガラス戸の向こうに七段飾りの雛人形が飾ってありました。
オーディを装置なども並んでいて、
これらの飾りを照らす照明もあるので、
通りるぎる人々へ見せる為と理解し写真に撮りました。
〔33〕
黒電話やブラウン管のテレビもあり、
昔懐かしい物が並んでします。
季節ごとに飾りを変えるのでしょうか。
機会があったら再訪して眺めてみたいと思います。
〔34〕
「南本町三丁目」
前回の散歩で見つけた不思議な光景。
ここの他に南本町一丁目の雁木でも見つけました。
通りに住人がいたら尋ね聞いてみようかと思いましたが、
残念ながら人影を見つけることが出来ませんでした。
時計を見付けた二ヶ所共、
小学校の通学路となっていて、
どちらの時計も登校時に見る壁に取り付けられているので、
小学生が遅刻しないために設けたのではないかと推測するのですが、
確かなことは分かりません。
機会が在れば調べてみたいと思います。
三月十一日(土) 撮影
唐突な終わり方ですが、
散歩はこの先で終わりとなり、
幕引きにふさわしい写真を撮る事が出来ませんでした。
それでも有意義な散歩となりました。
雁木の風景、光景を一つにまとめてみたいと思います。
この後目的を果たし、
帰りは車に乗って帰宅しました。
長文にお付き合い頂きありがとうございます。
今日はこの後庭の草刈りなどで忙しいくなるので、
今朝は三時に起床し、
朝食を挿んで一気に記事を書き上げました。
文章の推敲をすることが出来ません。
乱文、誤字脱字はご容赦ください。
銀行 [町景]
〔01〕
〔02〕
〔03〕
〔04〕
〔05〕
〔06〕
十月二十三日(土) 撮影
私の住む町にある古い銀行。
既にこの場所では銀行としての役割は果たしていませんが、
古い建物という事で市が買い取り、
今は新たな用途で生き延びている建物です。
この銀行が建つ前の通りでは、
毎年秋に、
「越後謙信SAKEまつり」が開催されます。
市内にある十三の造り酒屋が参加し、
千円で酒グラスを購入すれば、
その酒屋が用意した酒をすべて試飲できるというイベント。
飲む酒の量からすれば、
千円の元を取れるかどうかは分かりませんが、
十三の酒屋の酒の数種類を試飲し、
かつ、地元の酒の肴を食すことが出来るので、
ここ数年は参加しては楽しい酒を呑んでいます。
今年もこのSAKEまつりに参加し、
この銀行に立ち寄りました。
普段も一般公開されていますが、
こうした機会がないと足を運ぶことがありません。
ただ、被写体としての可能性がここにはあります。
そのような想いを抱き、
この日もSAKEまつりに出掛けました。
しっかりと地酒をいただいての訪問です。
既に正気で写真を撮る状態ではありませんが、
惰性で写真を撮りました。
写真の出来はどうでも良いのです。
ありのままの写真を今日は記事とします。
*
私のブログは写真ブログです。
写真の出来、不出来には関係なく、
基本的に撮った写真の全てを記事にしています。
全ての写真を並べることで、
少しは私を感じて頂ける幅を、
皆様にも広げて頂きたいという切なる想いであります。
*
今宵酔いどれにての記事更新故、
写真と文章の出来の悪さは寛大な心で見てやってください。
雨間 [町景]
旅先で雨に見舞われたが、
午後のひととき、
ほんの僅かだけ日が差した。
その僅かな時間だけは傘を閉じて街を闊歩したが、
またすぐに雨が降り出した。
思うように写真を撮ることは出来なかった。
*
写真の天気のように我が腸炎も回復してきた。
完全な回復とは言えないが、
随分心が落ち着き体が楽になった。
安堵して朝食を食べていたら左下奥歯の詰め物が外れた。
午後早速歯科医院へ行くが、
残念ながら外れた中が虫歯になっていた。
数回は通う必要ありとのこと、
また新たな医者通いが始まった。
年を取ると医者が近くなるものだ。
残念だが現実だ。
曲面 [町景]
単焦点の開放F値が明るいレンズ、
訪問先ブログで拝見する写真に刺激され、
私もそうしたレンズを楽しもうという目的を持ち出掛けた小さな旅、
絞り開放で撮ってやろうという思いが強く働き、
今日の写真を撮った場面でも絞り開放で撮影してしまいました。
もう少し焦点を深く合わせた方が良かったと反省しています。
所謂失敗写真ではありますが、
狙いは良かったと自画自賛、
自己満足の写真ですがご覧下さい。
〔01〕
〔02〕
〔03〕
隣り町への小さな旅が続きます。
旅の目的の一つでもあり、
旅の楽しみとなる食事、
昼食に何を食べるか決め兼ねしばらく町を歩きましたが、
心惹かれる店に出会うことが出来ませんでした。
何でも良いと開き直り飛び込んだ店、
何でもありそうだと目星を付けた店、
何を食べるか迷っていた私には打って付けの店でした。
各種ラーメンや炒飯からカツ丼などの各種丼物、
所謂一般的な「食堂」にあるメニューをはじめ、
刺身や焼き魚の定食にうどん、蕎麦、そして、寿司。
果てはおでん、焼き鳥をはじめ酒の肴となる数多くの一品料理、
昼の日替わり定食もありました。
驚きは 「メニューにある物全て出来ます」との店員が言い放ったこと。
なんと昼からおでんや焼き鳥まで食べられるのです。
日曜日の昼日中に一杯やろうかと考えていた気持ちが一気に加速します。
締めを何にするか決めるのは後回しにしてまずはモツ煮込みと冷や奴で生中を一杯、
締めを何にするか迷い決まらぬうちに一杯目が底を尽きお代わりを一杯、
程よく酔いが回ったところで、
締めに中のにぎり寿司を食べました。
日曜の昼から極楽、極楽。
さて、この後まだ旅は続きます。
日曜日の昼下がり、
程よい酔い心地で歩き写真を撮りました。
午後の写真は全て酔写、
もうしばらくこのような旅にお付き合い下さい。
小旅 [町景]
〔01〕
〔02〕
〔03〕
〔04〕
〔05〕
〔06〕
車で移動する習慣が身に付いた田舎者にとっては、
どんなに近い処、
例えば隣町へ行くことすら
考えようによっては旅として捉える事が出来ます。
他愛のない外出もカメラを携え出掛けたなら、
一つの旅に仕立てる事も容易です。
そう考えるならば、
目的など存在しなくても、
一つの外出を旅となるよう仕向け、
一つのブログ記事として仕立てることが、
何よりも楽しいと感じる今日この頃です。
荒寺 [町景]
〔01〕
影に惹かれ、
呼ばれたような気がした荒寺。
〔02〕
百度参りの祈りは、
錆びに覆い尽くされいる。
〔03〕
仁王門に朽ちた草鞋、
枯れ葉が寄り添う。
〔04〕
閻魔大王、
視線を逸らし見つめる。
〔05〕
燭台も錆び朽ちる、
灯りが灯ることは無いだろう。
〔06〕
体を傾け、
寄り添ってくる。
〔07〕
地に手をつき、
寄り添ってくる。
〔08〕
その眼差しを、
心の奥底に刻み込む。
〔09〕
救いの観音菩薩。
この日の町歩きで見付けた荒寺、
これまでに何度か足を運んだ事のある道、
全く気が付きませんでした。
この日までその存在を隠していたのでは無いかと、
忽然と私の目の前に現れました。
そこには少々不気味な空気が漂う空間もあり、
カメラを向けシャッターを押すにも気が引ければ、
腰も引けるような空間がありました。
それでも思うままに写真を撮りました。
この写真の中に、
私が存在しているでしょうか。
*
この寺での撮影、〔01〕、〔03〕の二枚以外は全て格子や割れた硝子窓の隙間から撮りました。
撮影上制限があり思うように撮ることは出来ませんでしたが、
光を制御することで自分なりの写真に仕上げることが出来ました。
残念ながら最後の写真は焦点を木彫りの観音菩薩の目に合わせる事が出来ませんでした。
デジタル一眼にレンズアダプターを付けて単焦点レンズで撮影しましたが、
どうにもこの組み合わせにおいてマニュアルフォーカスでピントを合わすことが出来ません。
視力低下、と言うより老眼が原因でしょうか、
また、明るいファインダーにも関わらずAPSサイズのファインダーが小さいのが原因でしょうか。
この日撮影した写真に焦点の合わない写真が多かった現実、
何か改善を図りたいと思うのですが、
今のところ自分では解決に至りません。
何方かご助言いただける方が居りましたら、
ご指導の程よろしくお願いします。
社殿 [町景]
〔01〕
〔02〕
〔03〕
〔04〕
〔05〕
〔06〕
〔07〕
〔08〕
〔09〕
記事に添える文章作成が滞っている間に、
次の日曜日がやって来ました。
そして、その日曜日に再び同じ場所を歩いてきました。
隣町への旅、
二日分の写真で記事を構成する事にしました。
*
今風の一眼レフカメラ、
どうにもその操作に馴染むことが出来ません。
昔の機械式カメラは単純な操作で良かった。
電子ダイヤルのカメラを悩んで使っていると
感性、感覚が薄れてしまうような気がします。
慣れればよいのかとも思うのですが、
今は一々考えないと操作をすることが出来ません。
こうしたカメラが自分にとって不都合な点が多いこと、
次回からの少し愚痴をこぼしてしまおうかと考えています。
文章のための長考は時間の浪費と悟りました。
しばらく写真中心のブログにしたいと思います。
目的 [町景]
〔01〕
〔02〕
先週の日曜日、
前の記事で述べたとおり隣町へ撮影に出掛けました。
そこは特別な場所では無く極ありふれた場所です。
僅か数時間の撮影行ですが、
私なりに小さな旅に仕立てたいと考え出掛けました。
この日の撮影では、
一つの目的を持って出掛けました。
ここしばらく便利なデジカメを使って撮影することが多かったのですが、
その影響もありデジタル一眼で撮影しても、
細やかな設定をせず安易に撮影することが多い事に、
自分自身危惧を感じていました。
そのような安易な撮影になることがないよう、
この携えた機材は、
デジタルの一眼が一台、
レンズはF2.8/45とF2.0/100の二本だけ、
かなり絞り込みました。
私が所有する機材において、
この組み合わせでは全てが機械式となり、
絞りはレンズの距離環で定め、
露出表示を見てシャッターダイヤルで意図するシャッタースピードに合わせます。
絞り込み測光なので絞り込むとファインダーの画像は暗くなります。
焦点もレンズの距離環を操作して合わせます。
便利なオートフォーカスを使うことは出来ません。
単焦点レンズのため、
距離環の移動以上に体の移動が大きくなります。
こうした撮影のための操作は、
かつて私がフィルムカメラで撮影していた時の操作と同じく、
私が身に付けた写真を撮るときの呼吸のようなもので、
力の入れようと言うか、
気持ちの定まりとも言える、
私が写真を撮るときの作法を思い起こそうという目的がありました。
そして、
小さな旅を充実させるために大切な要素、
それは食と酒、
この一人旅では昼にビールなど飲みながら旨い物を食べてやろうという、
もう一つの目的がありました。
どちらかというとこちらの方が楽しみでもあります。
その旅についてはは次回からの記事でご紹介いたします。