冬来 [雑想]
〔01〕
〔02〕
〔03〕
先々週の日曜日、
蕎麦が食べたくなったので戸隠に出掛けました。
今年初めて食する新蕎麦、
みずみずしい蕎麦粉とこの時期の冷たい水、
条件が相まって蕎麦が一層旨さを増すこの時期、
毎日曜日にでも蕎麦を訪ね出掛けたい気分です。
戸隠は既に秋の気配が薄れ、
雲間から覗く高い山の肌には雪化粧、
空気も冷たく心身共に引き締まる思い。
秋も好きですが、
そんな冬も好きです。
*
最近写真や文章、
ブログの構成など少々雑な気がします。
現在不調、
荒さの感じる今日この頃です。
雨読 [雑想]
四連休の三日目、
この連休初めて天気が悪く、
どこへも行かず一日中家にいました。
*
連休前に買い込んだ本を読み、眺め、
そして時折昼寝、
そんな一日を過ごしました。
「晴写雨読」
そんな気ままな休日の過ごし方、
まさに四連休のお陰です。
*
このところ浮世絵に心惹かれています。
歌川広重の風景画が特に気になります。
何が切っ掛けなのか今となってはわからないのですが、
この半年ほど何故か浮世絵が気になっていました。
浮世絵が気になっていたと言っても、
私が気になっていたのは広重の風景を描いた浮世絵、
その版画に特に興味を抱いていました。
調べてみると私が特に興味を抱いていたのは、
江戸の名所を描いた「江戸百景」という事がわかりました。
そこで今はその広重を中心に掘り下げたいと思っています。
とりあえず三冊ほどの本を買い込みました。
まだそれほど読み進めていないので、
自分にとってこの浮世絵がどう関係し、
自分にとってどのように展開するかわかりませんが、
ある風景を目にした印象を、
人に伝える為の手法としてどうするのか、
その手法における新たな展開の切っ掛けとして
この浮世絵に興味を抱いています。
広重、浮世絵、版画、
こうした新たな興味の対象が
自分の写真に何だかの影響を与えてくれる事を望みます。
新たな自分との出会いがそこにあること希望します。
もっと知りたい歌川広重―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
- 作者: 内藤 正人
- 出版社/メーカー: 東京美術
- 発売日: 2007/06
- メディア: 単行本
今夜浮世絵に対して興味を持った一つの切っ掛けを思い出しました。
その切っ掛けは昔発刊されていた美術雑誌にあった一つの特集記事です。
今夜書棚にあったその雑誌を取り出し再び開いて眺めてみました。
その特集は「北斎の謎」と題打ってあり、
葛飾北斎の「富嶽三十六景」の構図を解析、または解釈した記事です。
そこに記された文章を熟読することもなく今日までその印象だけが頭の片隅にありました。
その印象がここへ来て突然勃発し関係本の購入と繋がったのです。
連休三日目が緩やかに過ぎ去って行きました。
天気が悪く写真には向かないと決めつけ、
緩やかに過ごすことに専念し、
写真は一枚も撮りませんでした。
連休四日目、
これまでの三日間自分を中心に
さすがに最後の日は家人の要求を断る事が出来ず、
車に乗って市街地を走りました。
昼食に池の畔にある食事処に立ち寄りました。
〔01〕
同行した家人二人はまず生ビールを頂きます。
運転手の私は当然飲むことが出来ません。
この連休は自分主体に過ごさせていただきましたので、
ここはじっと我慢です。
食事になるまでしばし木漏れ日落とす畳と対峙します。
〔02〕
ようやくビールを飲み終え、
食事を注文します。
もうしばらく畳の写真を撮ります。
「こうなれば早く帰って飲んでやろう」
そんな思いで頭の中は一杯になります。
*
今日の記事は内容が分裂しているので、
捉えようのない内容となっています。
写真に力がないのでこのような結果となりました。
連休最終日、
さて、この後どうなる事やら、
次回も連休最終日の写真を記事にします。
〔つづく〕
読書 [雑想]
昨日、夕方に空を見上げたら
何とも秋らしい雲が広がっていました。
すっかり空も秋の衣装。
仕事先の駐車場で撮りました。
ここのところ我が生活も秋らしくなり、
夜には活字と親しんでおります。
先の上京前夜に読み始めた
池波正太郎の時代小説を、
往復の暇な時間などで一気に読み切り、
読書への思いに勢いがつき、
毎晩読書に傾倒しています。
涼感あふれる空気の中、
しっかりと体を温め
秋の風に触れながら読書することはとても気持ちが良く、
同じ本を読んでいても味わいが違って感じます。
それが気のせいだとわかっていても嬉しくなってしまう。
こうした思いを抱きながらする読書、
秋の楽しみのひとつです。
泡の快楽 [雑想]
官能の一杯が注ぎ込まれる。
泡の快楽。
一口、二口と喉に流し込み、
すでに夢心地。
ベルギー麦酒の快楽。
今日の日曜日も仕事。これで四週連続日曜日がつぶれた事になる。もちろん、全く休みがない状態が続いている。
今日はとても暑い一日だった。仕事を終えて飲む麦酒の快楽。それだけを考えて一日を過ごす。
今日掲載した写真は、いつぞや渋谷のベルギー麦酒屋で飲んだ麦酒。好きなベルギー麦酒の思いでの一枚。日本の麦酒を飲み続けてきた者には、この癖とも言える麦酒の味に馴染むことが出来ないかもしれませんが、この味が口に合う向きには、この個性的な味は病みつきになります。
ベルギー麦酒は、製造者が定めたグラスで飲むことで一層味が良くなり、雰囲気もよくなります。是非みなさんも、ベルギー麦酒を一度お試し下さい。
(ベルギー麦酒は日本の麦酒以上に、製造所によって味が大きく変わります。日本の地麦酒のような小さな会社で、それぞれの製造者の考え方で作られ、製造量も極少ないのが特徴です。もし、可能であればベルギー麦酒を飲ませる専門店で試して見るのが無難ですが、そのような店が少ないのが難点ですが、最近はそこそこの酒屋でも販売しているので、メジャーなところから試してみてください。出来ればシャンパンボトルのような瓶に入っている720ミリリットルの麦酒がお勧めです。小瓶よりも味が熟成され、深い味わいを得ることができます)
睡眠 [雑想]
自分の腕時計を撮ってみました。撮影した七月最後の日は少し早く帰宅したので、帰宅後、入浴と晩酌を済ませ、ブログの更新をした後、眠りに付くまでの僅かな間に撮影しました。気に入りの音楽を聴いていた十時前のこの時間、程なく眠りに落ちました。
疲れた時には眠ることが一番、私の体力維持は睡眠が基本です。睡眠の質が伴えば時間が短くても大丈夫で、外が明るくなると目を覚まします。何時に寝ても外の明るさの気配で目を覚まします。寝る前に何時に起きるという自己暗示に掛けると朝の起きる時間に不自由がありません。したがって、今では目覚まし時計に頼ることなく起床しています。
それでも時には長い睡眠を必要と感じ、無意味と思えるほど長い時間の睡眠を得ます。こうした睡眠の取り方、考え方でこれまでの人生を過ごしてきました。
現在、仕事に追われている状況下、写真を撮る為に与えられた時間は僅かです。多忙極める生活の中で写真を撮ることが出来る場面は限られており、その場面を考えてみると次のようになりました。
一 早朝に自宅の窓から写真を撮ること
二 通勤途上に車の中から写真を撮ること
三 自宅の中で写真を撮ること
四 身の回りの写真を撮ること
今のところ思いつくのはこの程度しかありません。したがって、私の生活に密着した写真を撮影している為、ブログに掲載している写真は私の生活そのものの写真と言えるでしょう。
このひと月は多忙な生活となっていますが、五月の終わりに始めたブログを、何とか今日まで写真を途絶させる事なく続けてきました。このような状況の中で、毎日ブログに写真を掲載するということは、写真の質が落ちるとか、写真が在り来たりだとか、過去の古い写真だという指摘を得るかもしれません。そのような事は事実であり、自分が一番感じている事ではあります。けれども、例えその通りだとしても、それが今の時分の在りの儘の姿であり、それは自分自身が一番よく分かっている事であります。ですから、その責めを気にすることは忘れ、これからもブログの写真を更新していきたいと思います。こうしてブログを通して自分の写真を皆様方に見ていただいたり、また、皆様方の写真を兵権する事が、ある意味睡眠以上に私の日々の生活の張りになっているのかもしれません。
皆様方のブログへは毎日欠かさず訪問しています。皆様方の写真を拝見することにより、眠っている感性が揺り動かされています。その印象をコメントとして書きたいと思うのですが、一日の終わりを向かえる夜の時点での体力が追いつきません。味気ない日々を送る中で、皆様方の刺激的な写真を拝見することで潤いを得ています。もうしばらくはナイスをもって訪問の証とさせていただきます事をご了承ください。秋の涼しい空気に包まれる頃まで。
不明瞭な景色 [雑想]
今日は不明瞭な景色。
風が強かった。
少し背の高い箱形の軽自動車は風に煽られ、
真っ直ぐに走ることが困難なほど。
山道を走れば、
ようやく咲いたであろう花びらが舞い散り、
新緑に染まった木々の葉が飛び、
弱い枝は折れ道路に落ちている。
新緑の色に力強さが増してきた今日この頃、
鮮やかな緑の中を走ろうと思っていたのだが、
手前に見える山肌は、
それでも緑の色が濃く見えるが、
その背後の山肌はかすれている。
更に遠くにある山並みは、
わずかにその存在が分かる程度である。
このぼんやりとした風景は、
極わずかな水具を溶かした、
薄い色の、情緒のない水彩画のようだった。
ぼやけた景色に、
今日一日、
心が晴れることはなかった。