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春海 [海景]





繰り返し押し寄せる波、
眺めていると切りがありません。
同じようでいて、
一つも同じ波はなく、
決して同じ波が再び姿を現すことはありません。
光の変化も伴って、
色の具合も変わって行きます。
そのような波を、
気に入ったように撮りたいと、
たくさんの写真を撮りました。

前記事の予告通り、
本記事では海原の写真を羅列します。




A 直江津 10.JPG
〔01〕












A 直江津 13.JPG
〔02〕












A 直江津 15.JPG
〔03〕












A 直江津 16.JPG
〔04〕












A 直江津 18.JPG
〔05〕












A 直江津 22.JPG
〔06〕












A 直江津 23.JPG
〔07〕












A 直江津 29.JPG
〔08〕












A 直江津 30.JPG
〔09〕












A 直江津 31.JPG
〔10〕












A 直江津 33.JPG
〔11〕












A 直江津 35.JPG
〔12〕












A 直江津 36.JPG
〔13〕












A 直江津 47.JPG
〔14〕












A 直江津 49.JPG
〔15〕












A 直江津 50.JPG
〔16〕












A 直江津 55.JPG
〔17〕












A 直江津 67.JPG
〔18〕












A 直江津 70.JPG
〔19〕












A 直江津 72.JPG
〔20〕



一月二日(火) 撮影



気持ちよく撮影しました。
冬の風も冷たく感じませんでした。
この日はカメラ操作の煩わしさを感じ、
手動で焦点を合わせました。
けれども、
自宅に帰って写真を見てみると、
多くの写真が焦点を外した写真で、
その出来の悪さに意気消沈。
撮影している時の高揚した気持ちとは天と地の違い。
撮影した写真への熱も一気に褪めました。

加齢と共に、
身体の様々な機能が低下していますが、
視力の老化と低下は、
撮影時の最大の悩みであります。

と言うことで、
本日の写真の多くが、
焦点が思った所に合っていなかったり、
焦点の甘い写真がありますが、
この場面での想いの記録として、
ブログ記事にしておきます。









隣町 [歩景]





度々、同じ記事の更新です。
事情は最後に書きました。
お時間のある方はお読み下さい。




元旦は生憎の天気で、
雨音で目を覚ましました。
三時には布団を抜け出し、

パソコンに向かい写真の整理やら、
ブログの記事のコメントなどを書きました。
朝方の雨も昼近くには上がり、
昼過ぎには青空も顔を出しました。
今年一年の始まりは、
静かに、
そして、
緩やかに始まりました。
明くる一月二日、
朝から天気が良く、
新年初の撮影に出掛けました。
元日にも少しだけ家の裏を歩き、
初撮りはしていましたが、
一人で撮影に出掛けたのはこの時が最初で、
その時に撮影した写真は前の記事でご覧頂きました。
午後から時折陽が差していましたので、
昼酒の勢いもあって、
海辺の隣町まで出掛けてみることにしました。
そう決断して家を出たものの、
時折小さな雨粒が空から落ちてきたので、
引き返そうかと思いましたが、
それこそ酔いの勢いで、
一時間に一本程度の田舎の列車時刻を確かめることも無く、
最寄りの駅に向かって歩き出しました。
運よく、十数分で目指す方向の列車がやってきました。
片道二百円の旅、
田舎生活の足は自家用車、
余程の事情や目的がない限り、
車ではなく電車を使っての移動はまずありません。
この日、私の事情は、
昼酒を飲んでいることと、
目的は歩いて写真を撮るということ、
車で撮影に出掛けると、
撮影する場所が点となりますが、
歩いて移動することで、
撮影する場所が線となり、
より多くの事を感じ取る事ができます。



A 直江津 01.JPG
〔01〕


右の電車に乗ってきました。
丁度登りと下りの電車が並びました。
この小さな旅の顛末を記録するべく撮りました。












A 直江津 05.JPG
02


駅から海までどの道を辿って行くか、
こうした撮影散歩では、
その選択で被写体との出会い大きく影響してきます。
この日は単純に、
駅から海までほぼ最短の道を辿ることにしました。












A 直江津 76.JPG
03


途中、
先月も立ち寄った寺院の前を通ります。
海へと急いではいましたが、
また立ち寄りました。
以前から何度か撮影に来ていた寺院なので、
前を通るとやはり気になり、
光の具合が良ければ撮らずにはいられません。












A 直江津 02.JPG
04


先月は午前中に、
この日は午後に立ち寄りましたので、
当然光の方向も違います。
その光の違いで浮かび上がる光景を楽しみます。












A 直江津 04.JPG
05


強い光と深い影。
こうした光景ばかりが目に止まります。











A 直江津 03.JPG
06


水に映る姿と実像を眺めるのが好きです。












A 直江津 06.JPG
07


門前の木造。
その頭巾に心惹かれ前回も撮影しましたが、
どうにも思うように撮る事が出来ません。












A 直江津 08.JPG
08


きっと、
被写体と心が一つにならないのでしょう。
何度撮っても上手く捉える事が出来ません。












A 直江津 09.JPG
09


光の具合が今ひとつ冴えません。気持ちが萎えます。












A 直江津 07.JPG
10


光の具合が今ひとつ冴えず、
思うように撮る事ができません。次第に心が萎えていきます。












D 直江津 80.JPG
11


落胆し、海へと急ぐことにしました。












A 直江津 78.JPG
12


駅から海辺までの距離は約一キロ、
寄り道をしながら三十分ほど歩いて、
日本海へとたどり着きました。
幸いに雨の心配はなくなり、
海原は光を受けて輝いていました。












A 直江津 79.JPG
13


振り返るとこのような景色、
記念写真を撮っている家族がいました。
直江津港と遠くに火力発電所が見えます。
私は一人で、
写真を始めた三十年前、
よく直江津港に通い写真を撮った事を思い出しました。












A 直江津 80.JPG
14


再び振り返り海へと向かいます。
光り輝く海へと心踊らせ、
海辺と急いで歩みます。
輝く海原の写真を撮るには絶好の状況。
風が強く吹いていましたが、
心地良い風に感じました。












A 直江津 81.JPG
15


波打ち際に立ちます。
風に吹かれ、
酔いも薄れていきます。












A 直江津 82.JPG
16

波と戯れます。
波の音に包まれ心地良くなります。












A 直江津 83.JPG
17


遠くを望みます。太陽が雲間に隠れると、
海原も暗くなり、
空の印象が強くなります。












A 直江津 87.JPG
18


海の近くに住んでいたならば、
きっと膨大な海の写真を撮っていたことでしょう。
反面、
時折訪れる海、
その度新鮮な心持ちで海と接する事が出来る、
どちらが良いとは言うことは出来ませんが、
自分の持つ境遇で海の写真を撮るだけ、
現実ですが、
そうして楽しむだけです。












A 直江津 85.JPG
19


止め処なく海の写真を撮りました。
満足して海を後にしました。
まだ、明るさの残っている町を、
同じ道を辿って駅に向かいました。












A 直江津 86.JPG
20


帰りの列車の発車時間まで少し余裕があったので、
ホームで少し写真を撮りました。












A 直江津 74.JPG
21


夕暮れのホームの灯りというのは、
駅によって印象が変わりますが、
私の身の回りはローカル線故、
どことなく寂しさを感じる灯りです。












A 直江津 73.JPG
22


この列車に乗って帰ります。
斜体に力弱く映る夕日、
駅の照明など、
心に染み入ります。












A 直江津 84.JPG
23


再び上りと下りの列車が並びました。
発車の時刻が近付きます。












A 直江津 75.JPG
24


田舎の駅の夜景は、
華やかではありません。
駅も静かで、
灯りも寂しく、
一人帰宅する私の心も暮れていきます。



一月二日(月) 撮影


昼酒の勢いに撮影に出掛けた隣町での撮影、
町の撮影は思うように撮影する事は出来ませんでしたが、
実は、
日本海の輝く海原をたくさん撮影しました。
本記事では輝く海原の写真は省きました。
次の記事でその海原の写真を、
いつも通り、
大量に羅列してご覧頂く予定です。
次回もお付き合いのほどよろしくお願いします。



    *



ソネブロが不調で、
修正するつもりが色々とおかしくなってしまい、
一度公開した本記事も一度削除して再度作成しました。
「読んでいるブログ」の登録も全て消えてしまい、
新たに登録する事も出来なくなってしまい、
皆様方の更新が分からなくなってしまいました。
ブログの機能が回復するまでは、
皆様方から頂いた「nice」が頼りでのご訪問となります。
そのような事情により、
ご訪問頂いた際は、
見たという印で気楽にボタンを押して下さい。






















初日 [朝景]




一月二日、
朝、
まだ暗いうちから起き出して、
珈琲などを飲みながら外が明るくなるのを待ちました。
雨にはならないという予報を前日に確認していましたので、
東の空が明るくなる頃、
車に乗って撮影に出掛けました。
けれども、
空は平凡な曇りで、
私が望んでいたような強い朝日が差し込みそうにはありません。
「朝日が差し込み陰影が深ければ」、
最近通っている集落を訪れ、
朝の風景を撮影しようと思っていましたが、
空の雲が解れる予兆は無く、
撮影する気持ちが湧いてきません。
通いなれた集落を一通り歩きましたが、
この集落での撮影は諦めました。

代替地として通いなれた神社仏閣をと思いましたが、
新年の参拝をする方の邪魔になるのではないかと思い止めました。
しばらく当てもなく車を走らせながら行き先を考え、
日本スキー発祥の地、
「金谷山」へ行ってみることにしました。
此処へはこれまでに何度か撮影に行ったことがあります。
頭の中で過去に撮影したシーンが幾つか浮かんできました。
他に思い浮かぶ場所も無いので、
光りが良くなることを祈って金谷山へ向かいました。




A 金谷山 03.JPG
〔01〕


金谷山に到着。
東の空に日の出の気配。












A 金谷山 04.JPG
〔02〕


太陽は雲の中に居て、
光は強くなっているものの、
姿を現さないので、
少し待つことにします。












A 金谷山 07.JPG
〔03〕


新年二日目に、
一日遅れで初日の出を見ることが出来るかと、
期待して待ちます。












A 金谷山 08.JPG
〔04〕


少しずつ明るさを増していきます。
雲間から光が漏れ出します。












A 金谷山 09.JPG
〔05〕


日の出を撮りに来た訳ではないのですが、
行きがかり上見届けたいと、
さほど変化のない空を見続けます。












A 金谷山 10.JPG
〔06〕


雲は中々切れず、
太陽は雲を照らすのみで、
その姿を現しません。

普段の撮影ならば、
こうした空の表情を撮影するだけで満足するのですが、
正月ということで、
はやりしっかりとした太陽を写したいと、
空の変化を楽しみつつ、
もうしばらく待ちます。












A 金谷山 13.JPG
〔07〕


少しでも雲間から顔を出し、
太陽の輪郭を捉える事が出来れば良いのですが、
薄々この日は駄目だと感じています。












A 金谷山 16.JPG
〔08〕


予想通りの展開で、
中々好転しません、
仕方ないので、
露出を過度に切り詰め、
自分流の写真を撮りながら更に待ちます。












A 金谷山 17.JPG
〔09〕


結局、
太陽はその姿を露わにすることはありませんでした。
日の出の写真を撮ることはこれで終わりにしました。












A 金谷山 02.JPG
〔10〕

実はこの写真が、
この日最初に撮影した写真です。
ブログの記事の構成の為に、
被写体別に順庵を入れ替えました。

電線が写っています。
一枚目を撮った時には気付きませんでした。
数枚目を撮ったところで気付きました。












A 金谷山 01.JPG
〔11〕


此処は、
金谷山の麓にある、
キリスト教の墓地です。
小さいころから山に登る道路の脇にあるこの墓地を、
もう何度も見ていますが、
撮影の為に訪れるのは、
記憶にあるのは二回だけ、
その時の印象があり、
この日出掛ける切っ掛けとなりました。












A 金谷山 05.JPG
〔12〕


コダクロームが無くなる時、
最後に買った十本のコダクローム、
惜別の想いを込め、
撮影していた時に訪れたのを良く覚えています。












A 金谷山 06.JPG
〔13〕


太陽が差し込むことを期待して、
この後、
しばらく日の出の写真を撮ることにしました。












A 金谷山 21.JPG
〔14〕


日の出の撮影を止め、
墓地の中に入らせて頂きました。
朝陽を受けて、
十字架が輝いていました。













A 金谷山 22.JPG
〔15〕


光の具合が良くなりました。
色が鈍くなっていましたが、
元が金色であった像が、
朝陽を受けて輝いていました。












A 金谷山 24.JPG
〔16〕


あたかも朝陽を見つめているよな眼差し。












A 金谷山 25.JPG
〔17〕


像は東を向いているため、
こうして毎日、
朝陽を見ているのでしょう。












A 金谷山 26.JPG
〔18〕


キリスト教の事が全く分からないため、
何を表現しているのかよく分かりません。












B 金谷山 01.JPG
〔19〕


墓地は極小さく、
歩いても数十歩で墓地を歩き切ります。
例年であれば、
雪景色となっているこの時期、
この正月は雪がありません。
うっすらと雪が降り積もった頃に、
もう一度来てみたと思いながら、
キリスト教の墓地を後にしました。












B 金谷山 02.JPG
〔20〕


キリスト教の墓地のすぐ隣に、
仏教の寺院があります。
その小さな薬師堂を訪れました。

キリスト教の墓地と仏教寺院が接して立地するこの場所、
墓地の向かいには仏教寺院の庫裏が建ち、
十字架を毎日目にする場所で日々生活をする立地を目にすると、、
とても不思議な感覚を受けます。












B 金谷山 04.JPG
〔21〕


硝子への映り込み、
日の出の太陽の勢いはいつの間にか無くなりました。












B 金谷山 06.JPG
〔22〕


顔をガラスに押し付け、
硝子越しに堂の中を見ます。
見慣れた仏教の意匠、仏具があります、












B 金谷山 07.JPG
〔23〕


硝子から少し離れて、
硝子を挟んで二つの世界を見ます。
彼岸と此岸を同時に見るようです。












B 金谷山 05.JPG
〔24〕


薬師堂の床の青色に目を引かれますが、
良く見るとブルーシートです。
光が減退した中では、
その青色の怪しさに心惹かれたのですが、
ブルーシートを敷いた事情を推し量ると、
撮影する気持ちが失われます。












B 金谷山 08.JPG
〔25〕


弱い光の中で、
鈍く光る仏具。












B 金谷山 09.JPG
〔26〕


薬師堂の周囲を歩きます。
急な坂道の脇の崖には、
いくつかの穴が掘られています。
防空壕かとも思えるのですが、
はっきりとしたことは分かりません。












B 金谷山 10.JPG
〔27〕


平坦な光の中、
何故かこの色合いが目に止まりました。












B 金谷山 11.JPG
〔28〕


疎らに、
ぞして雑然と、
画にならない竹。












B 金谷山 12.JPG
〔29〕


自分でも何故ここを撮るのか分かりません。
ただ、何か気に掛る場所があります。
こうした場面では考えることなく、
感じるままに撮っていきます。
意味などは後から付加されることもあるでしょう。












B 金谷山 13.JPG
〔30〕


説明でもなく、
記念でもなく。
手当たり次第に、
ただ撮るだけです。












B 金谷山 14.JPG
〔31〕


時には視線を上方に見上げます。













B 金谷山 15.JPG
〔32〕


薬師堂を一周しました。
思うような写真を撮る事が出来ませんでした。
そして、光の具合も良くならないので、
撮影を諦め帰路に着きました。











A 金谷山 27.JPG
〔33〕


日の出の頃の色合いとはすでになくなっていました。
相変わらず太陽の手前には雲がありました。












A 金谷山 28.JPG
〔34〕


その手前の雲が不思議な形をしていました。
どのような風で雲が解け、
こうした雲の形を作るのか全く分かりません
あまり見ることのない雲の形に、
しばらく眺めていました。












A 金谷山 31.JPG
〔35〕


光の屈折により、
少し赤く焼ける部分もあります。












A 金谷山 33.JPG
〔36〕


新年二日目の初日の出を拝むことは出来ませんでした。
写真の収穫もそれほど無かったのですが、
新たな場所で早朝に歩き、
撮影する事が出来た事には満足しました。



一月二日(月) 撮影



写真自体は決して満足していませんが、
全ての撮影で気に入った写真を撮影できるものではありません。
普段ならば、
撮影に出掛けても、
好きな光の具合でなければ、
一枚も撮影しないこともありますが、
この日は、今年初めての撮影ということもあり、
「折角来たのだから」という思いが強く働き、
多少無理をして撮影しました。
新年らしい心理の撮影となりました。

結果として、
この場所での撮影では、
気に入った写真を撮る事は出来ませんでした。
この日の撮影で一つのまとまりを得る事は出来ませんでしたが、
こうした場所へ通い続け、
写真を撮り続けることで、
何かを見つけ出すことが出来る場合があります。
また、通っている内に素晴らしい光と出会うこともあります。
決めた場所を撮り続けるのも一つ、
時には新しい場所を求めて撮るのも一つ、
思うままに、
好きなように、
今年も写真を撮りたいと思う出のした。









元日 [冬景]





新春、
初撮りです。
雪国新潟は、
雪の無い正月を迎えました。
自宅裏の田畑にも雪は皆無です。

朝方は雨が降っていましたが、
次第に天気も回復し、
昼近くになって陽が差すようになりました。

青空に誘われ、
新年最初の散歩に出掛けました。




A 初春 01.JPG
〔01〕












A 初春 02.JPG
〔02〕












A 初春 03.JPG
〔03〕












A 初春 04.JPG
〔04〕












A 初春 05.JPG
〔05〕












A 初春 06.JPG
〔06〕












A 初春 11.JPG
〔07〕












A 初春 07.JPG
〔08〕












A 初春 08.JPG
〔09〕












A 初春 09.JPG
〔10〕












A 初春 10.JPG
〔11〕



一月一日(日) 撮影



天気が良かったので、
もう少し歩きたかったので、
小さな同行者は直ぐに飽きてしまい、
早々に帰宅を促されました。











再訪 [夕景]




A 夕景 01.JPG
〔01〕


出向勤務を終えた後、、
一日の歩く量が激減した日を過ごしていたので、
時には歩かないといけないと思い、
夕暮れ近く、
カメラを持って出掛けました。












A 夕景 02.JPG
〔02〕


最近、
心掛けて撮影している集落へ行くには、
太陽の高度が落ちすぎていて、
思うような光景は望めないと、
空の写真でも撮ろうと裏の田圃道を歩き始めました。

田圃中の小さな踏切、
雪国では車が立ち往生等による事故防止のため、
十二月中旬から三月末までの間閉じられるのですが、
この踏切に通ずる道は経路によっては近道になるため、
割合多くの車が通ります。
この踏切は自宅から見えるのですが、
踏切が閉じられてしばらくの間は、
この踏切の手前まで来て、、
方向転換をして戻っていく車を何台も見掛けます。












A 夕景 03.JPG
〔03〕


越後富士「妙高山」の夕景。
私の好む空模様、光の具合ではなく、
写真への期待はそれほどありませんでしたが、
光が織りなす風景を楽しみながら歩きました。












A 夕景 04.JPG
〔04〕


思いのほか西の空は焼けていて、
思ったより光が残っていました。
田圃に向かった事を悔いて、
もう遅いとは分かっていていましたが、
集落へと足を向けました。












A 夕景 05.JPG
〔05〕


集落に着きましたが、
日も沈んで光は弱くなっていました。













A 夕景 07.JPG
〔06〕


遅いと思いながらも、
先日撮影した池に来ました。












A 夕景 12.JPG
〔07〕


先日は空が青い色のまま暮れていきましたが、
この日は僅かに夕焼けの色がありました。












A 夕景 08.JPG
〔08〕


木立の樹影と儚い茜色。












A 夕景 10.JPG
〔09〕


特別なアイディアなど浮かばず、
先日と同じような写真を撮りました。












A 夕景 11.JPG
〔10〕


「二番煎じ」はやはり駄目なもの。
この日は光の具合も平凡だったため、













A 夕景 14.JPG
〔11〕


路傍の花。
冬枯れの色。












A 夕景 17.JPG
〔12〕


背景の水面には、
僅かな茜色、
水彩絵の具を溶かしたような色具合。












A 夕景 18.JPG
〔13〕


常々木々の枝の姿というのは美しいと感じていますが、
冬枯れに葉を落とした枝の姿を、
水面に映して見ると、
微妙な揺らめきにより、
別の美しさを見る事ができます。












A 夕景 21.JPG
〔14〕


僅かな水面の揺らめきに、
緩やかに、
僅かに、
呼応します。












A 夕景 22.JPG
〔15〕


夕暮れの薄光に、
冴える枝の黒色。












A 夕景 35.JPG
〔16〕


新たな発想も浮かんでこず、
時間だけが過ぎていきます。












A 夕景 24.JPG
〔17〕


光が減退していきます。
明るいレンズに交換し、
変化を求めました。












A 夕景 27.JPG
〔18〕


単焦点レンズのため、
画角の変化を得る事は出来ませんが、
内なる変化があればと思い被写体を探しました。












A 夕景 29.JPG
〔19〕


画角の変化を得るには、
自らが動き、
被写体との距離を変える必要があります。
こうした動作により、
写真を丁寧に撮ることに繋がります。












A 夕景 30.JPG
〔20〕


期待した程の変化を得る事は出来ないまま、
時間は過ぎていきます。












A 夕景 31.JPG
〔21〕


残念ながら、
期待した新たな被写体を得る事は出来ず、
諦めて池を離れます。












A 夕景 32.JPG
〔22〕


すっかり日が暮れて、
明るさが残っている空の方向しか被写体がありません。
空以外のものは全て影、
影の黒い色が冴える時間です。












A 夕景 33.JPG
〔23〕


枝の様々な姿形。
枝先が光の中に溶け込んでいきます。












A 夕景 34.JPG
〔24〕


先ほど集落に辿り着いたときと同じ道を、
同じ方向へ辿り帰る途中、
奥の方に池の端から見ていた木立を眺めます。
また、時間を変えて池に行こうと心に決め、
しばらく立ちつくし見つめていました。



十二月二十一日(水) 撮影



結果としては気に入った写真を撮る事が出来ませんでしたが、
この集落をしばらく撮り続けていきます。
積み重ねから新たな発見などがあるはずです。
この後、
ここにも雪が積もります、
撮影するには辛い時期になりますが、
この冬は心掛けてこの集落へ足を運んでみたいと思います。








水面 [夕景]





※本記事は、前記事の写真に文章やコメントを添えたものになります。



とある日の夕暮れに行った撮影散歩。
その続きです。




A 夕暮 22.JPG
〔01〕


少々露出不足の写真。
何となく撮った一枚の写真。
この写真が切っ掛けでした。












A 夕暮 23.JPG
〔02〕


冬の夕暮れ、
光の弱くなった空が、
落ち葉の浮かぶ水面に映っていました。












A 夕暮 24.JPG
〔03〕


時折、
雲間から差し込む冬陽が強くなると、
池の水面も明るくなります。












A 夕暮 30.JPG
〔04〕


手前には枝葉のシルエット。
背景には木立のシルエット。












A 夕暮 31.JPG
〔05〕


黒色に魅了されていて、
好んでこのような写真を撮ります。












A 夕暮 32.JPG
〔06〕


水鳥の飛び立った跡。
水面の波紋を光が演出します。












A 夕暮 33.JPG
〔07〕


背景の木立を映す水面に、
光の輪が広がっていきます。












A 夕暮 34.JPG
〔08〕


その輪の広がりは空を映した水面に届き、
次第に黒から白へと色を変え、
やがて消えていきます。












A 夕暮 35.JPG
〔09〕


背景の木立を映す水面。
木立の縁取りは浮遊物や僅かな水面の動きに揺れ、
木立が影となる黒色の部分には、
小さく砕けた波紋が空の光が反射して輝いています。












A 夕暮 38.JPG
〔10〕


雲が切れて青空が広がりました。
樹影と空の表情を重ねます。












A 夕暮 39.JPG
〔11〕


更に浮かぶ落ち葉を重ねます。












A 夕暮 40.JPG
〔12〕


様々な映りを求めます。












A 夕暮 41.JPG
〔13〕


立つ位置と光の具合で、
池の表情がどんどん変わって行きます。
移り変わる光景を追います。












A 夕暮 42.JPG
〔14〕


どう撮るか。
僅かに考えていますが、
感じるままに撮って行きます。
思考が浅い分、
出来は雑な写真です。












A 夕暮 43.JPG
〔15〕


自然の動きと、
自分自身の動き。
いくつもの組み合わせを試して撮ります。












A 夕暮 44.JPG
〔16〕


視野も変えながら撮ります。












A 夕暮 45.JPG
〔17〕


様々の者達の共演で、
画面が埋め尽くされます。












A 夕暮 46.JPG
〔18〕


僅かな水面の揺らめきにも、
映る空の雲も揺らめきます。












A 夕暮 47.JPG
〔19〕


水面に映り込む色、
木立の黒と空の青、
画面を占める割合で印象が変わります。












A 夕暮 49.JPG
〔20〕


光が弱まって、
再び波紋を撮ります。












A 夕暮 50.JPG
〔21〕


波紋が映り込む姿を揺らしていきます。












A 夕暮 52.JPG
〔22〕


次第に白色は弱まり、
黒色の支配が広がります。












A 夕暮 56.JPG
〔23〕


更に光は弱くなり、
次第に辺りが薄暗くなっていきます。












A 夕暮 57.JPG
〔24〕


それでも池の水面には空や木立が映り込みます。












A 夕暮 63.JPG
〔25〕


池の淵の映り込み。













A 夕暮 64.JPG
〔26〕


映り込む黒色の微妙な質感に心惹かれます。












A 夕暮 66.JPG
〔27〕


池の水面は次第に黒色に支配されます。












A 夕暮 67.JPG
〔28〕


画面の切り取りと、
露出の操作での演出です。












A 夕暮 68.JPG
〔29〕


随分写真を撮った後、
帰るか帰らないか迷いながら、
少しだけ池から離れ空を見上げます。












A 夕暮 69.JPG
〔30〕


何か撮り残した物があるのではないかと思い、
再びいけに戻り、
水面を撮り続けます。












A 夕暮 70.JPG
〔31〕


焦点の変化。
木の枝に焦点を合わせると、
画面の質感が変わります。












A 夕暮 71.JPG
〔32〕


光の具合で、
微妙に色合いが変化していきます。
それを捉えようと試みました。












A 夕暮 72.JPG
〔33〕


再び池から離れ、
先ほどとは別の木を撮ります。












A 夕暮 73.JPG
〔34〕


三度池に戻り、
影の黒色が怪しい色になっていきます。












A 夕暮 79.JPG
〔35〕


池を後にする最後の写真。
良い時間を与えて頂きました。



十二月五日(月) 撮影



僅かな時間を縫って出掛けた撮影散歩、
急ぎ足で暮れていく太陽の光が失われ、
吹く風の冷たさが身に凍みて、
もう撮影はこれまでと家路に着きました。

その帰り道、
どうということの無い池がありまして、
これといった特徴や美しさがあるわけでもなく、
目にしても何も心動くとの無い池なので、
これまでも何度かこの池の脇の道を歩いていますが、
写真を撮ったことはありませんでした。

この日も光が弱く、
わたしの好む空や光の具合ではなかったのですが、
何となく〔01〕の写真を一枚撮った後、
何かアイディアが湧いてくるかもしれないと思い、
数枚撮り始めたら止まらなくなり、
たくさんの写真を撮ってしまいました。

池に接する道の長さは三十メートルほどでしょうか、
その道を何度見行ったり来たり、
レンズは生憎70-200のズームレンズ一本のみ。
広がりを写す事が出来ないので、
水面に映り込む物を切り撮るしかなく、
それだけに動きのある波や空などは瞬間、瞬間に姿を変えるため、
より良いカットを得たいとどうしてもシャッターを切ってしまいます。

素人ながら、
小さな格闘を持って写真を撮る事は楽しいことで、
夕暮れの冷たい風に体が冷えることも忘れて写真を撮りました。











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