夕暮 [歩景]
「年末の散歩」 その三
この日の散歩は、
集落の細い道を抜けた先にある神社を目指していました。
自宅を出たのが二時半。
田圃道を抜け,
集落の道を辿り、
ここまで凡そ一キロの道程を歩いてきました。
散歩での撮影に夢中になると、
時計も見ず時間を忘れることがあります。
光の変化で時間の経過を察知しているわけですが、
時間に拘束される事のない散歩の時は、
具体的な時間を知る必要がなく、
光の変化を楽しみながら写真を撮ります。
けれども夕暮れは、
次第に光が失われていくので、
時間に追われ写真を撮る事になります。
後に撮影データを確認すると、
目指した神社の参道入り口に辿り着いたときは、
すでに四時を過ぎていて、
一キロの道程を一時間半を掛けて歩いて来たことになり、
驚くほどの遅い歩みを知りました。
〔01〕
冬の日暮れは早く、
既に空は暮れ色に染まっていました。
〔02〕
落葉する木々は、
冬枯れの枝に残った葉も僅か。
〔03〕
松の葉は冬枯れを知らず、
冬でも力強くその葉を広げています。
〔04〕
前景の茂み。
背景の木立。
その間に夕暮れの空。
〔05〕
主題の入れ替わり。
写真ならではの技法。
〔06〕
神社へ向かう道の中程で立ち止まり、
空を見上げます。
ちぎれた雲の間に暮れゆく青空が広がっています。
〔07〕
切り倒された杉の切り株。
ほんの僅かに雪が残っています。
年末に雪が無いので、
こうした僅かな雪に心惹かれます。
〔08〕
榊の葉越しに鳥居。
鳥居の足元の意匠が浮かび上がっています。
〔09〕
暮れゆく光の中に石の冷たい輝き。
磨かれた面はまるで光を放っているように見えます。
〔10〕
朱入れされた文字。
文字を写真に撮る習性で、
蒐集と言っても良いかもしれません。
〔11〕
光の具合、
周囲の状況により、
浮かび上がる光景に、
再び鳥居の足元に目を惹かれました。
〔12〕
境内の水溜まりに夕陽が映っています。
日陰の残雪の色合いとの対比。
どうということの無い場面ですが、
こうした光の存在に心惹かれます。
〔13〕
神社裏手の杉林。
木立の間の空は夕暮れの色は、
茜色が濃くなり始めています。
〔14〕
本社左にある別の社の鳥居。
笠木は苔生して、
木立に覆われた薄暗い光の中で、
その苔が鈍く光りを放っていました。
〔15〕
建立碑の石面が、
日陰に残った雪に反射する光に浮かび上がっていました。
〔16〕
彫られた文字の意味は分からないが、
その文字に心惹かれ、
写真を撮らされました。
「ぎょくふう」と読むのかと思っていましたが、
後に調べてみると「たまかぜ」と読み、
「東北、北陸地方の日本海側で冬に北西から吹く爆風」と知りました。
当地も冬には北西の強い風が吹き、
その風に多量の雪が合わさるのですから、
より一層その風は厳しくなるので、
その風を沈ませる願いがあるのでしょうか。
正しい意味なのか分かりませんが、
何故だか腑に落ちません。
〔17〕
狛犬の背後にも夕暮れが迫ります。
胴体から尾に掛けた造形が、
薄暗い光の中に浮かび上がります。
〔18〕
その背景を意図的に省けば、
また違った世界が浮かび上がります。
〔19〕
一旦神社を抜け、
裏手に広がる田畑を眺めます。
他の場所ではほとんど見る事の出来なかった雪が、
この場所は他の場所と違って多く雪が降るのでしょう。
僅かに距離が違っても、
周囲の地形や木立の有無で、
雪の降り方は変わり、
必然に積雪量も違って来ます。
〔20〕
前景の杉林の茂み越しに見る遠方の山並み。
無粋な鉄塔などもある景色だけれど、
夕暮れの空を透かして見る
稜線に立ち並ぶ木立の姿が美しく切り撮ります。
〔21〕
再び神社へ戻りつつ、
杉木立の間に夕暮れの空を眺めます。
先ほども同じ場所で見た景色ですが、
空の具合、
色の変化をみて楽しみます。
〔22〕
再び神社へ戻り、
帰路に着く報告をします。
〔23〕
振り返り、
境内を眺めます。
社殿の屋根にうっすらと積もった雪が、
杉木立の影の中で空の色を映していました。
〔24〕
参道で再び振り返り、
杉木立の間から見える屋根の雪を見つめます。
〔25〕
失われていく光に急かされながら、
先ほど通ってきた部落の細道を引き返します。
往きとは違って少し足早に歩きますが、
やはり生け垣に目が止まります。
〔26〕
薄暗い生け垣に茂る葉。
微妙な光の具合により浮かび上がる景色。
〔27〕
細い道を抜け、
別の神社の前の用水路まで辿り着きました。
その前を流れる三面コンクリートの用水路。
数年前の五月の散歩で、
その水面の映り込みに出会ってから、
散歩の度毎にこの水面を気に掛け撮影しています。
〔28〕
用水路に沿った道を少し歩くと、
奇怪な姿形をした松の木があります。
〔29〕
上方に延びるのを絶たれても、
しっかりと生きている姿があります。
〔30〕
夕暮れの空に、
影の濃い雲が流れて行きます。
〔31〕
少し歩みを進めますが、
やはり用水路の水面が気になります。
〔32〕
水面に外灯が映り込むと、
一層夕暮れの印象が強まります。
〔33〕
水面に映り込む木々の濃い影の中に、
枯れすすきの姿を浮かべます。
〔34〕
水面の様々な映り込みを探しながら家路を急ぎます。
〔35〕
ふと反対側の足元に目をやれば、
道端の小さな石像がありました。
今日の散歩、
たくさんの写真を撮る事が出来たことを感謝しました。
〔36〕
振り返り、
もう一度空を眺めた後、
更に足取りを速め家路に着きました。
平成27年 十二月三十日(水) 撮影
本記事は、
散歩の時間経過と場所に合わせ、
三回のシリーズとなりました。
そのため一枚写真として見ると蛇足に思える写真もありますが、
私の散歩を綴ったものですから、
その「流れ」を見て頂けると幸いです。
ですから、お時間のある方は、
一回目の記事から通して頂けると、
私の散歩を少しは感じ取って頂けるかもしれません。
本当に余裕のある方はお試し下さい。
本シリーズに限らず、
写真、蛇足が多いのは、
単に写真を見て頂くだけではなく、
「流れ」の中から何かしら感じて頂きたいという想いがある為です。
*
年末、
十二月三十日に出掛けた気まぐれの散歩。
天候や光の具合に出掛けるまでは全く期待していませんでしたが、
思い掛けずたくさんの心惹かれる景色、光景に出会う事が出来ました。
雪国では降雪、積雪などにより、
夏と違い、冬は出掛けるのが億劫になります。
この日出掛けた散歩で時間を掛けて歩いた、
集落へはこれまでに何度か出掛けていますが、
冬に訪れた事は少なかった為、
この日は新たなたくさんの出会いを得る事が出来ました。
目にした風景が自身の心象で浮かび上がるということに、
改めて感じる次第であります。
この日出会った風景から切り撮ったたくさんの写真。
ただ単に冬という季節だけではなく、
十二月三十日という年末の想いが何かしら働いていたような気がします。
こうして身の回りのありふれた風景を切り撮り続けることは、
自分の記録であり、
こうしてブログに綴ることで自分の歴史が刻まれていきます。
けれどもブログに刻まれた歴史は永遠ではなく、
遠くないいつの日か瞬時にして消えます。
そう考えるとここに綴られた歴史を更にどこかに留めたいと思うのですが、
その手立てを知りません。
別の手立てで長きに残すことが出来ても意味や価値など無いのですが、
せめて私が生きている間は、
時折この歴史を懐かしく眺めるたいと考えます。
ですから、末永くこのブログという仕組みが維持されることを望んでいます。
*
「年末の散歩」シリーズ三回目。
本記事は一回目の記事を書いたときには、
三回分の写真構成だけはほぼ出来ていて、
一回目、二回目の記事を書きながら、
時折写真に添えるコメントなどを、
空いた時間に少しずつ書いていたので、
謂わば三週間掛けて出来上がった記事です。
今朝は三時に起床して大半の文章やコメントを、
三時間以上掛けてようやく本記事が出来上がりました。
文才もないのに、
しっかりとした文章、記事を作りたいという欲があるので、
いつもこうしたしっかりとした記事を作り上げるのは一種の苦行でもあります。
産みの苦しみはありますが、
斯様な稚拙なブログにお付き合いして頂ける方も居られ、
それが励みにもなり九年という長きに渡りブログを続けてきました。
また、ほとんど返事を書くこともない失礼な私に、
丁寧にコメントを書いて頂ける方には心より感謝いたします。
現在の楽しみの一つでもあり十年目に入りましたが、
今月から過酷なプロジェクトに着任しました。
九月末までは全く私的な余裕を持つ事が出来なくなります。
今日の日曜日にこの三回目の記事を書き上げないと、
次の更新が四ヶ月後になる可能性もあり、
今朝は早起きをして記事を書き上げた次第であります。
この後は、長きに渡りブログ更新が途絶える可能性がありますが、
撮り溜めた写真のみでも、
また、写真ではなく近況などを簡単に綴った更新をしたいと思います。
この夏を、
健康を害さず、
精神を病むこと無く乗り切る事を自身で祈りつつ、
本日の記事を更新いたします。