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妻有 [心景]




 越後妻有 大地の芸術祭2015 三日目 その一)



大地の芸術祭の記事は、
芸術祭に初めて訪れた2009年からブログに記事にて、
今年で三回目となりますが、
これまでの記事でも何度か書いていますが、
この芸術祭のイメージの一つに、
「夏の太陽の下、大地を駆け巡ってアート作品を見て回る」というイメージを私は持っていて、
実際にこれまでの芸術祭でも、
夏空の下を暑い陽差しに照らされ、
汗をかきながら見て回りました。
ところが、
今年の芸術祭では、
どうした巡り合わせか、
週末の天気が悪く、
私が出掛ける日は中々青空が顔を見せてくれません。
夏の強い陽差しは、
私が抱く芸術祭のイメージと関わりあいだけでなく、
強い光を扱って表現する作品もあり、
閉校となった学校の教室や体育館や、
山間の空き家という空間を利用して作られた作品は、
やはり、太陽の光があることで輝きを放ち、
見る者の心を惹きつけます。

この日、三回目の訪問でしたが、
二回目同様、
空は曇に覆われ、
時折雨が降るという、
おおよそ夏とは思えない残念な天候でした。




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〔01〕


「最後の教室」。
大地の芸術祭で好きな作品の一つ。
毎回足を運んでいますが、
廃校となった小学校の校舎と体育館全体を使っての作品。
見る度にその作品の持つ力を感じ、
感動が薄れることがありません。












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〔02〕


作品鑑賞は体育館から始まります。
さすがに、床に敷き詰められた「藁」の匂いは薄れ、
雨で気温が低いこともあり、
体育館に立ち籠める匂いはありませんでしたが、
この真っ暗な空間に緻密に設えられた仕掛けが見事です。












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〔03〕


体育館から校舎1階の廊下へと進みます。
ここも真っ暗な空間の天井には、
裸電球が連なっています。












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〔04〕


廊下の突き当たりには、
換気扇のような大きな羽が回っていて、
その裏に仕掛けられた照明から発せられる強い光に、
羽の影が廊下に回転しています。












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〔05〕


その廊下を歩く人の姿は、
まるで異次元を目指して歩いているようです。












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〔06〕


廊下を突き当たり振り返ると、
往事の学校の設いが光を受けて浮かび上がっていました。












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〔07〕


校舎の二階からは、
人間の心臓音を想像させる大きな音が聞こえてきます。
その二階の一室。
ここも薄暗く、
ようやく部屋の中が見えるほどの暗さ。
ここでも裸電球が空間の光を支配しています。












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〔08〕


裸電球は、
この作品において重要な意味を持つもの。
それに心惹かれ、
行く度に写真を撮っています。












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〔09〕


自分なりに、
その裸電球を美しく撮りたいと、
何枚も、何枚も写真を撮りました。












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〔10〕


二階の嘗て教室だった部屋には、
プロジェクターが投影されていて、
空間を仕切る樹脂製の布にその光に、
裸電球の影が映っていました。
プロジェクターの映し出す模様と、
裸電球の輝きに心惹かれ、
前回の芸術祭でもたくさんこの場面で写真を撮りました。












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〔11〕


そのプロジェクターの光源を、
裸電球を透かして見つめました。
不思議で素敵な色が裸電球のガラスに映っていました。













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〔12〕


三階の部屋には、
白い布が敷き詰められ、
棺桶を想像させる形と大きさの透明な樹脂製の箱が並んでいます。
そこには目に見えない遺体が横たわっているように思えてきて、
この作品に対する恐怖感が深まります。












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〔13〕


ここにも空間を仕切る樹脂製の布があります。
私はその樹脂製故の光具合に心惹かれ写真をとりました。
作品の主題よりも、
こうした物体に心惹かれ写真に撮っては、
私自身の作品に対する記憶にしています。












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〔14〕


三階の廊下にも、
一列に並んだ、弱く灯った裸電球。
作品全域において裸電球は重要な存在であり、
私は何度訪れてもその裸電球の写真を撮るのでありました。












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〔15〕


この日二つ目の作品。
手元に資料がないのでいつの地震だかわかりませんが、
ある地震により発生した地滑りの後に築かれた堰堤です。
通常の堰堤は、
膨大なコンクリートにより築かれますが、
ここではコンクリートではなく、
土砂を利用した堰堤です。












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〔16〕


大きな円筒形が四基並んでいます。
この土砂を詰めた円筒形で水の流れを調整しています。












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〔17〕


その円筒形の外側を覆うのは鋼矢板です。
松之山から津南へ向かう道の遠くから、
この堰堤を目にした時の、
この形、大きさ、発想に驚かされました。
そして何よりこの鋼矢板、
私は木の肌に見えたので、
堰堤の近くに寄って鋼矢板と分かったときには、
諸々のこの堰堤の仕掛けや考え方が解けた想いに至りました。












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〔18〕


堰堤を下から眺めると、
上端を覆うように夏草が生い茂っていました。
その緑色がきれいで、
鋼矢板の錆色との対比が美しく、
また、大自然の中に突如現れた鋼矢板の冷たい物体の存在を和らげる色に見えました。












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〔19〕


山肌に設置された仮設の階段を登っていくと、
この堰堤を上から俯瞰する事ができます。
下から見ていたときは分かりませんでしたが、
天端がコンクリートで固められた堰堤がありました。












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〔20〕


堰堤は四基の円筒により水を堰き止め、
普段はその僅かな隙間から水が流れ落ちています。
大雨で水量が多くなったときは、
天端がコンクリートで固められた堰堤を超えて大量に流れでる仕組みとなっています。
ですから、天端が一段低いこの堰堤の天端はコンクリートで固められているのです。












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〔21〕


堰堤を上方からみた全景。
四基の堰堤がならび、
その機能がよく分かります。
脇を固める堤防の上に並ぶ黄色い支柱は、
地滑りで土砂が流れ出た位置をしめしていて、
堰堤を挟んた対岸にも並んでいました。












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〔22〕


その黄色い支柱の上には、
灯具が設置されているようです。
配線などないので、
きっと昨今性能の良くなった太陽電池を供えた灯具なのでしょう。
夕暮れに見る事は叶いませんでしたが、
興味のある仕掛けです。












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〔23〕


発想や機能、自然に対する考え方、寄与する工法は理解出来るのですが、
私にはよく分からないのが鋼矢板の耐久性です。
外側は風雨に晒され、
内側も常に土砂に含まれた水分があり、
矢板の継ぎ目からはその水が流れ出ていました。
腐食の進行はどの程度で、
土砂を堰き止める為の体力は何年持つのだろうかという疑問です。
これだけの構造物を造るのだから、
専門家がしっかりと耐久性を計算しているのだろうから、
崩壊する事はないのだと思うのですが、
何かしら心配になりました。

(※堰堤の機能などについては悪までも私個人の考えなので間違っている記載があるかもしれません)












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〔24〕


松之山から津南へ向かう道を下って行き、
突き当たりのT字路を右折し、
津南に向かい車を少し走らせ三つ目の作品を鑑賞しました。
小学校の隣にある嘗て保育園として使われていた建物。
その空間全体を使っての作品です。
二階建ての保育園の保育室から堰堤まで、
写真にあるような板がずっと巡らせてあり、
それは一つの環になっています。







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〔25〕


それぞれの場所でその板に仕掛けがありますが、
二階のこの保育室では、
色とりどりのアルバムが置いております。












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〔26〕


子供の居なくなった建物ですが、
まだ古びた感じはなく、
床はまだ光り輝いているので、
最近まで使われていた保育園でしょうか。
子供が減り、
子供の声を聞くことのなくなったこの空間は寂しいものです。












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〔27〕


そしてアルバムの前には園児が座る小さな椅子があります。
その小さな椅子に座って、
アルバムをそっと広げ、
写真を見ていきます。












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〔28〕


そこにはこの保育園がある地域に住む人達の写真がありました。
今では過疎や少子化できっと地域の人口も減っているのでしょうが、
どのような土地にあっても、
人々のこうした記念写真には良い表情があります。
中には、その写真の背景にある事情などを勝手に想像してしまい、
古い時代にあった悲しい事情などが浮かび上がり、
胸にこみ上げてくるものがあります。












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〔29〕


小さな部屋にも板の環は繋がっています。
南向きの小さな部屋には園でも小さな子供達がいたのでしょうか。












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〔30〕


その小さな部屋の黒板には、
ここを訪れた人による落書きで埋まっていました。
廃園となったこの保育室の黒板に、
私は落書きをする気持ちには至りませんでした。












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〔31〕


更に小さな空間。
裸電球が一灯点き、
小さな机がありました。

廃校、廃園。
嘗て子供達の声が響いていただろう空間が、
芸術祭の作品により、
表面上からは寂しさを感じる事はないのですが、
一人そこに佇み嘗てあっただろう光景を想い描くと、
何だか寂しい気持ちになるのでした。



八月三十日(日) 撮影



天候に恵まれなかった芸術祭巡りの三日目。
本記事ではその午前中に訪れた作品です。

最初の作品は三度目で、
次の芸術祭でも行きたいと思うし、
年に一、二回は芸術祭とは関係なく公開しているので、
夏とは別の季節に一度ゆっくりと鑑賞に行きたいと思っています。

二つ目の堰堤は、
どの部分が芸術祭としての作品なのかよく分かりません。
現場では小さなプレハブの建屋で堰堤の詳しい説明がなされていましたが、
時間の関係で立ち寄る事が出来なかったので、
前にも注意書きをしましたが、
記述には間違っている内容があるかもしれません。
それにしても素晴らしい土木構造物に出会う事ができました。

三つ目の作品は、
正直に言うとほとんど期待していなかった作品で、
撮影下写真も説明的で自分としては記事にするかどうか迷いましたが、
芸受祭巡りを記憶に留める為書き綴りました。

芸術祭巡りにはガイドブックを手に入れ、
どの作品をどのように巡るか、
何せ、かなり広範囲に作品が点在しているため、
しっかりとした計画を立てないと効率的に作品を見て回る事が出来ません。
その計画を立てる中で、
ガイドブックに掲載されている作品の写真やイラストから判断して、
どの作品を見るか決めるのですが、
写真が掲載されている場合は、
その作品の実態に近い姿を見て判断する事ができます。
イラストの場合は、ガイドブックを製作する段階で、
まだ作品が完成されておらず、
場合によっては作品の構想を描いたものがあり、
芸術祭で公開される作品とは少々姿、印象が異なる場合があり、
思いもしない作品に出会い感動することがあれば、
想像していた作品とは全く印象が違う事があり、
この辺りは当たり、外れがあると心して計画する必要があります。
こうした、ガイドブックと作品の差異の最たるものは、
その芸術祭で公開される作品とは違い、
その作家の別の作品が写真として掲載される場合があります。
その作品を見ることが出来ると思い訪れると、
全く違った作品をそこで見る事があるのです。
今年の芸術祭でもそうした作品に二つ出会いました。
この日の三つ目の作品もその一つで、
写真とは全く違った作品でした。
写真の作品は嘗てに公開された作品で、
娘も少しは興味を持つかと思い立ち寄った作品でしたが、
娘はほとんど興味を示さなかったので残念でした。




    *



少々仕事が立て込み、
二回ほど日曜日更新のブログを二回休みました。
年末までの納期の仕事に携わっているため、
この後も更新が滞るかもしれませんが、
何とか年内に芸術祭の記事を完了させたいと思っています。










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