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安堵 [旅景]





A品川神社21.JPG



十一月十七日(日) 撮影



十一月中旬に訪れた品川神社で撮影した写真、
今回が最後の写真となります。
約一ヶ月で十一回という長き間、
ご覧いただきありがとうございました。


最後の写真は、
予定していた撮影時間を大幅に超過している事に気が付き、
慌てて帰るその間際に撮った写真です。
小さな草が石垣に根を下ろし、
朝陽を受けて輝いている姿、
その色と輝きに目を惹かれ撮影しました。
どうということのない草の写真ですが、
この朝の撮影での感情が、
この草の光景に重なりました。
この一枚の写真は、
私にとって深き想いを記録することとなりました。



    *



とうのも言うのも、
実は十月の終わりに右目の視力がなくなりました。
若干予兆があったものの、
兆候があってから五日目の事で、
翌日すぐさま眼科を受診しました。
一ヶ月後に手術をする事がすぐに決まり、
視力は回復するとの診立てでした。
再び目が見えるようになるとわかっていも、
人生において初めて受ける手術ということで、
手術に対する不安が募ります。
また、
これまで不自由なかった日常生活の様々な場面で支障が生じ、
仕事もまともに出来ません。
手術までの日々が長く感じられ苛立ちました。
時間があればついつい悪いことを考えてしまいます。


多くの人は右目が「効き目」だと思うのですが、
私もこの右目が効き目です。
ご存じの通り、
デジカメではカメラの背面にモニタ画面があり、
昨今はこの画面を見て撮影する事ができるようになりました。
私は趣味で三十年以上写真を撮ってきましたが、
今でもファインダーを覗いて写真を撮る事が多く、
私にとっては、
写真を撮るときに、
ファインダーを覗くという行為は欠かせない行為でした。

たとえ右目が見えなくなったとしても、
両目が見えなくならない限り、
写真を撮ることを止めるつもりはありませんでしたし、
これまでと同じように写真を撮る事ができるような気がしていましたが、
何よりも手術までの一ヶ月という時間があまりにも長く、
これまでのような写真を撮ることが出来なくなるのではないか、
時折そのような不安な気持ちが湧き出してきます。

そのような不安を払拭するには、
この不自由な目で写真を撮って試すしかないと思い、
この朝旅先の東京で、
昨年も訪れて好きになったこの神社に出掛けた次第です。


結果、
この朝の撮影は、
わかりきってはいましたがいつものような感覚はありませんでした。

目にする景色がよく見えない。
被写体を追って歩けば足先の極小さな突起に躓く。
慣れない左目でファインダーを覗いても被写体がよく見えない。
マニュアルでの焦点を合わせが上手く出来ない。
カメラを縦位置で構えると画面が傾く、
など、など。
いつもの調子で写真を撮る事が出来ませんでした。

したがって、
いつもより丁寧に、
一枚一枚、
写真を撮りました。
そうせざるを得なかったのですが、
それでも、
可能性を感じ取っていました。

写真を撮る技術的な障害は慣れで何とか出来ると思いました。
景色を見る感覚が鈍ってしまうことの不安を払拭するには至らなかったものの、
何とか自分らしい写真を撮ることを素直に喜んでいました。


撮影を終えて帰る間際の一齣、
「写真を撮ることが出来た」という安堵の瞬間、
この草に当たった光に「暖かさ」を感じ、
その色が深く心にしている様、
それが今日の写真であります。



    *



この撮影の二週間後、
無事に手術を終え、
幸いに視力は回復しました。
以前のような見え方でないのが現実で、
完全な回復ではありませんが、
右目でファインダーを覗き撮影が出来るようになったことに、
喜びを感じています。

視力が回復したこと、
何よりも写真を撮ることが出来るそのこと、
その上再びファインダーを覗いて写真を撮ることが出来るようになったこと、
心より感謝しています。



    *



私的なこと故、
書こうかどうか随分迷いましたが、
この十数枚の写真に込められた心情、
写真の裏側にあった背景を、
言葉として添えておくことにしました。

写真と共に私的な長文、
最後までお読み頂きありがとうございました。











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