冬寺 [寺景]
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一月十一日(土) 撮影
文字を写真に撮る。
そのようなことが成立するのだろうか、
近頃自分の写真で引っかかる問題であります。
そもそも文字を写真に撮るという行為、
写真の被写体として文字は成立するのだろうか。
また、文字を写真に撮るという行為に、
何か意味があるのだろうか。
そんな疑問を抱きながらも、
撮影に出掛けた先でこのような立派な文字に出会うと、
写真に撮る癖があります。
写真を撮る行為というのは自分の心の記憶を残すこと。
好きな神社仏閣を歩き写真を撮ることを重ねれば、
数多くの写真が記録されますが、
後にその写真を並べ眺めると、
これら文字の写真が、
他の写真と良い具合に馴染み、
佇んでいるように感じられるのです。
文字を写真に撮るという事を意識し始めたのは、
十年ほど前からでしょうか。
どの写真が最初の写真か今ではわかりませんが、
きっと何という事はない切っ掛けだったと思います。
さて、今日の文字の「寶物」、
善光寺の参道を歩きはじめ間もなく左手にある
「大本願」という寺院にありました。
実は善光寺には数十回訪れていますが、
ここ「大本願」に足を踏み入れるのは初めてでした。
実は今回の善光寺記事の写真、
最初の記事の一枚目の写真以外は、
ここまですべてこの「大本願」で撮った写真です。
慣れ親しんだ善光寺ですが、
此処では新しい気持ちで景色を見ることが出来ました。
前記事の池の中に身を落とした花の写真も、
二枚目の写真は池の中の塗料の水色が画面を覆っているのですが、
この場面でこの水色というのは、
これまでは好きでなく、
今までならきっとこの場面で写真を撮っていなかったと、
自分でも思いながら、
この朝はこの場面で写真を撮りました。
この時、
何かしら自分でも何かが違うと感じ取っていたのです。
それは、
一時的に失った視力が回復したことが影響していたのかもしれません。
単なる偶然だったのかもしれませんが、
今振り返ってみるとそのように思われます。
自分にとって何が「寶物」なのか。
写真を撮るという行為、
写真を撮る時間を与えられる、
その時間こそが何よりの「寶物」だと、
心の底から感じるとともに、
そのことに感謝する次第であります。
冬寺 [寺景]
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一月十一日(土) 撮影
寒い朝でした。
前日長野の天気予報を調べたら、
朝の気温は点下六度でした。
新潟の冬は雪に埋もれます。
雪国ならではの苦労がありますが、
雪に埋もれてしまうため、
気温に関しては氷点下を下っても、
せいぜい三度から四度まで、
地表が凍ることがあっても、
地中まで凍ることはまずありません。
雪に埋もれた世界、
雪国に生まれ育ち五十年、
雪は時に、
暖かさを感じる事さえあります。
隣県長野市は盆地故、
冬には新潟より冷え込むことを知っていましたので、
念には念を入れて、
防寒対策をしたつもりでしたが、
長野はさすがに寒さが厳しく、
体の芯から冷えました。
体が冷えれば心も冷えます。
小さな池の水面に落ちる花、
その色は冷たく凍てついていました。
冬寺 [寺景]
善光寺 その一
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一月十一日(土) 撮影
年末年始の気忙しさも少し引けた土曜日の朝、
まだ暗い外を見ると、
二十センチほどの雪が降り積もっていました。
出掛けるのを躊躇うほどの雪の量でしたが、
前夜、出掛ける準備を整えていましたので、
意を決して五時に家を出て、
五時半発の始発電車に一人乗りました。
冷たい窓に額を寄せても、
列車の車内灯の光りが届く
わずかな線路際の雪が浮かび上がるだけで、
外の気配を伺い知ることが出来ません。
そんな車窓を見るでもなく、
かと言って寝るでもなく、
ただぼんやりと眺めながら列車に揺られていました。
七時前、
列車は時折雪の舞う、
底冷えの長野駅に着きました。
*
今日からしばらく善光寺で撮影した写真を記事にします。
手持ちの写真整理が捗らないため、
時間稼ぎに小出しの更新とさせて頂きます。
ゆったりとお付き合い下さい。
安堵 [旅景]
十一月十七日(日) 撮影
十一月中旬に訪れた品川神社で撮影した写真、
今回が最後の写真となります。
約一ヶ月で十一回という長き間、
ご覧いただきありがとうございました。
最後の写真は、
予定していた撮影時間を大幅に超過している事に気が付き、
慌てて帰るその間際に撮った写真です。
小さな草が石垣に根を下ろし、
朝陽を受けて輝いている姿、
その色と輝きに目を惹かれ撮影しました。
どうということのない草の写真ですが、
この朝の撮影での感情が、
この草の光景に重なりました。
この一枚の写真は、
私にとって深き想いを記録することとなりました。
*
とうのも言うのも、
実は十月の終わりに右目の視力がなくなりました。
若干予兆があったものの、
兆候があってから五日目の事で、
翌日すぐさま眼科を受診しました。
一ヶ月後に手術をする事がすぐに決まり、
視力は回復するとの診立てでした。
再び目が見えるようになるとわかっていも、
人生において初めて受ける手術ということで、
手術に対する不安が募ります。
また、
これまで不自由なかった日常生活の様々な場面で支障が生じ、
仕事もまともに出来ません。
手術までの日々が長く感じられ苛立ちました。
時間があればついつい悪いことを考えてしまいます。
多くの人は右目が「効き目」だと思うのですが、
私もこの右目が効き目です。
ご存じの通り、
デジカメではカメラの背面にモニタ画面があり、
昨今はこの画面を見て撮影する事ができるようになりました。
私は趣味で三十年以上写真を撮ってきましたが、
今でもファインダーを覗いて写真を撮る事が多く、
私にとっては、
写真を撮るときに、
ファインダーを覗くという行為は欠かせない行為でした。
たとえ右目が見えなくなったとしても、
両目が見えなくならない限り、
写真を撮ることを止めるつもりはありませんでしたし、
これまでと同じように写真を撮る事ができるような気がしていましたが、
何よりも手術までの一ヶ月という時間があまりにも長く、
これまでのような写真を撮ることが出来なくなるのではないか、
時折そのような不安な気持ちが湧き出してきます。
そのような不安を払拭するには、
この不自由な目で写真を撮って試すしかないと思い、
この朝旅先の東京で、
昨年も訪れて好きになったこの神社に出掛けた次第です。
結果、
この朝の撮影は、
わかりきってはいましたがいつものような感覚はありませんでした。
目にする景色がよく見えない。
被写体を追って歩けば足先の極小さな突起に躓く。
慣れない左目でファインダーを覗いても被写体がよく見えない。
マニュアルでの焦点を合わせが上手く出来ない。
カメラを縦位置で構えると画面が傾く、
など、など。
いつもの調子で写真を撮る事が出来ませんでした。
したがって、
いつもより丁寧に、
一枚一枚、
写真を撮りました。
そうせざるを得なかったのですが、
それでも、
可能性を感じ取っていました。
写真を撮る技術的な障害は慣れで何とか出来ると思いました。
景色を見る感覚が鈍ってしまうことの不安を払拭するには至らなかったものの、
何とか自分らしい写真を撮ることを素直に喜んでいました。
撮影を終えて帰る間際の一齣、
「写真を撮ることが出来た」という安堵の瞬間、
この草に当たった光に「暖かさ」を感じ、
その色が深く心にしている様、
それが今日の写真であります。
*
この撮影の二週間後、
無事に手術を終え、
幸いに視力は回復しました。
以前のような見え方でないのが現実で、
完全な回復ではありませんが、
右目でファインダーを覗き撮影が出来るようになったことに、
喜びを感じています。
視力が回復したこと、
何よりも写真を撮ることが出来るそのこと、
その上再びファインダーを覗いて写真を撮ることが出来るようになったこと、
心より感謝しています。
*
私的なこと故、
書こうかどうか随分迷いましたが、
この十数枚の写真に込められた心情、
写真の裏側にあった背景を、
言葉として添えておくことにしました。
写真と共に私的な長文、
最後までお読み頂きありがとうございました。