狐影 [旅景]
〔01〕
〔02〕
十一月十七日(日) 撮影
背景は朝陽に照らされた地面、
その中に稲荷社の狐を落として撮影しようと試みました。
けれどもその地面には、
周囲にある何かの影も落ちていました。
その影はちょうど狐の口元にあり、
二つの影を引き離そうと立ち位置を変えてみましたが、
上手く行きませんでした。
それでもこの光景が気に入りましたので、
数枚の写真を撮りました。
狐の表情は求めません。
狐は影にすることは考えなくても決まっていました。
前の記事で書いたような露出の迷いは、
この場面ではありませんでした。
紙垂 [旅景]
十一月十七日(日) 撮影
神社などに行っては、
飽きもせず同じものを撮っている。
好きなものを好きなように撮る。
ただそれだけの事だけど、
心底うれしい。
*
それにしてもこの「紙垂」、
その形といい、
その色といい、
どのように撮っても絵になる気がする。
特にその紙の色は、
強い光が当たれば白く輝き、
また、沈み込んだ光の中でも、
神社の薄暗い空間に浮き立つ。
その白さに魅せられ、
この朝にも紙垂の写真を撮った次第です。
水鉢 [旅景]
〔01〕
〔02〕
十一月十七日(日) 撮影
神社にある手水鉢、
鳥居や紙垂のように、
その手水鉢を覗き込んでは、
写真を撮ってしまう癖があります。
*
モノクロフィルムで撮った事がありませんが、
カラーでモノクロ写真を撮る事が出来たらなどと、
考える事があります。
小景 [旅景]
十一月十七日(日) 撮影
石で出来た水鉢。
その小さな水面に映った空と木立。
強い光りの存在に浮き立つ景色が好き、
そうした写真を好んで撮りますが、
こうした何気なく、
小さな景色を見るのも好きです。
葉影 [旅景]
十一月十七日(日) 撮影
朝陽に艶やかな落ち葉の色が浮かび上がります。
この艶やかな色に目を惹かれますが、
右手にある少し細長い葉の影に心惹かれました。
神社仏閣で写真を撮る時、
出来るだけ音を立てないよう、
静かに写真を撮るよう心掛けます。
無駄な音で空気を震わせてはいけません。
心を静めることで、
見えて来る光景があります。
富士 [旅景]
十一月十七日(日) 撮影
品川神社、
現在は第一京浜道路が目の前を、
多くの車が往来し、
正月には箱根駅伝の選手たちも駆け抜けて行きますが、
江戸時代には第一京浜道路のもう少し海側に東海道があり、
東海道の向こう側には江戸前の海が広がっていました。
此所には富士塚があります。
江戸時代に広がった富士山信仰、
江戸庶民も多く富士山へ足を運んだそうですが、
当時富士山ンは女人禁制、
また、諸事情で富士山へ行く事のできない人のために造られた富士塚、
現在の東京以外でも多く造られていました。
私がこの富士塚を知ったのは、
広重の浮世絵「名所江戸百景」で、
富士山を模した小さな山を造り、
そこに登山道を設け、
山頂には浅間神社を祀り、
富士山登山をして詣でるというもの、
滑稽な面もあるのですが、
興味を惹かれ、
いつかは現存している富士塚に行って見たいと思っていました。
一年前にここ品川神社を訪れたのは偶然でした。
富士塚の存在はもちろん、
どのような謂れがあり、
どのような神社なのか全く知りませんでしたが、
北品川辺りの旧東海道を訪ねてみようかというのが切っ掛けで、
この神社へ私を導いたのです。
思い掛けない富士塚との出会い、
この富士塚を見ることが出来た事は嬉しかったのですが、
その導きの力も感じています。
品川神社にある富士塚の高さは、
十メートルほど、
今日の写真はその登山道から撮りました。
何ということの無い写真です。
今ではこの写真をどのように撮ったのか記憶がありませんが、
恐らく石碑のようなものの間から望む背景のビルの、
その形が富士山の山頂の形を連想させ、
ビルの白い壁面があたかも白い雪のように見え、
石碑の前にある葉が具合よく配置されていたので、
この富士塚に於いて、
自分の富士山を見つけたその姿を撮りました。
長々と富士塚について書きましたが、
この富士塚を説明するような写真は撮っていないので、
皆様にこの場所を写真でご紹介することはできません。
私的写真散歩故、
どうかご容赦下さい。