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海原 [旅景]





 大磯散歩 その八  「海原」




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〔01〕


ようやくたどり着いた大磯の海。
大磯といえばやはり海を思い浮かべます。
その海辺に立てば、
自分の想いを写真に撮ることが出来る、
そのような期待で胸は膨らんでいました。












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〔02〕


波寄せる浜辺、
波に洗われるその岸辺には、
小さな粒が輝いていました。












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〔02〕


寄せては返す波、
ただそれだけを繰り返す波は、
毎回同じようにしか見えないのですが、
何かが少しずつ変わり、
その姿を変えていきます。












大磯33.JPG
〔03〕


秋の潮風に吹かれながら、
その波の姿を、
飽きることなくずっと眺めていました。



九月二十一日(土) 撮影



日本海側に住む私は、
太平洋は何かしら明るい印象を抱いています。
朝陽の昇る海、
明るい色の空、
大洋の向こう側の国などなど、
相反する印象を抱くのは、
かつて裏日本と呼ばれた時代を生きた人間の性でしょうか。

そんな私が太平洋を望む時は、
いつも心が躍ります。
日本海とは違った海の写真を撮る事が出来るという
期待感があるからです。

けれども、
出会った光景はただ一つ、
太陽に向かって望む海だけでした。
光り輝く海原の印象があまりにも強く、
それ以外の光景に心を向けることが出来ませんでした。。

そんな中で、
唯一私の目を惹くのがアオバトでした。
時折飛来するアオバトの飛翔は素早く、
私のカメラでは追うことが出来ません。
動く物の写真が苦手な私は、
鼻からアオバトの写真を撮る事は諦めていました。

旅先では、
写真を撮るのが楽しみでありますが、
写真以外の何かに出会える事が、
貴重な出会いであります。
大磯では、
他にも色々と感じ、
何かしら自分に新しい思考を与えてくれました。
その「感受」が普段では得ることの出来ない感覚、
写真などよりも大切なことです。

私の持ち合わせた語彙ではその思いを文章で表現することが出来ませんが、
感じ取ったことはたくさんあります。
この海原との出会いは深く心に刻まれました。










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鴫立 [旅景]




 大磯散歩 その七 「鴫立庵」




大磯211.JPG
〔01〕


木立の葉間を透かした光が庵に差し込みます。












大磯16.JPG
〔02〕


整然と並ぶ畳の目が浮かびます。












大磯18.JPG
〔04



縁側の板にも光と影が落ちます。












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〔04



障子戸の一隅を照らします。












大磯21.JPG
〔05〕


秋の陽射し、
随分と影が長くなりなりました。



九月二十一日(土) 撮影



古き日本家屋に落とす光と影、
こうした光景に心惹かれ写真を撮るのが好きです。



鴫立庵、
ここも何の予習もないままでの
写真にかんしても、
いつも通りに自分の感じ取るままに撮るしかない。



庵の周囲にはたくさんの石仏などがあり、
また、高低差のある敷地で
庵を回ると



古の庵とは、
斯くも簡素な空間であったと今更ながら気付きます。

















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閑居 [旅景]

 

 大磯散歩 その六  「旧島崎藤村邸」




大磯15.JPG
〔01〕


西日を浴びて日焼けした畳。
その崩れた線に時を感じます。












大磯207.JPG
〔02〕


大正硝子の揺らめきに写り込む世界、
この硝子には、
家人の愛した庭の姿を外側に、
家人の姿を内側に映していたことを想い浮かべました。












大磯208.JPG
〔03〕


主が紡ぐ文章の、
紆余曲折の如く、
何やら木々の幹も曲折していました。




    *



九月二十一日(土) 撮影



恥を忍んで吐露すれば、
実は島崎藤村の小説や詩を読んだ記憶がありません。
勿論、教科書で出てくる文章には接したことがあり、
我が家の書棚を探れば、
藤村の書もある筈ですが、
その書名を思い出すことすら出来ません。
秋の日が傾き掛けた頃、
知識が何もない中で藤村終の棲家を訪問しました。


名のある作家故、
さぞ立派な書斎を構えていたであろうと想像していましたが、
思いのほか小さな居でした。
玄関脇を右に切れ込み小さな庭に入り込めば、
すぐに茶室風の書斎の縁に出ます。
書斎の角を左に曲がり、
その先の居間の広縁に進めば、
そこでもう庭の終わりです。


「萬事閑居簡素不自由なし」と、
藤村は夫人への書簡に書いているそうですが、
正に閑居、
執筆中のこの居に無音の空間を想い浮かべます。
原稿用紙の上を走る筆の意外に何があったのでしょうか。
思いつくのは庭を訪れる鳥の囀りしかありません。
私が訪れた時の音の記憶は残っていません。
現代の見慣れた周囲の家屋を目にしては、
主が居した時代の音を想像することは出来ませんでした。











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小道 [旅景]




 大磯散歩 その五 「小道」




大磯206.JPG
〔01〕












大磯12.JPG
〔02〕












大磯210.JPG
〔03〕



九月二十一日(土) 撮影



「小道」という
響きのよい言葉に心惹かれます。
ここ大磯にも住宅地を縫うように小道がありました。

道は細く、
場所によってはすれ違う人の肩が触れ合うほど。
この狭い空間には、
様々な光景やそこに住む人々の息遣いに触れることが出来ます。

また、道は緩やかに曲がり、
辿りつく先を見ることが出来ません。
一歩ごとに
歩みに従い景色は緩やかに変化します。
緩やかに繰り広げられる景色を楽しみながら歩くのが、
小道散歩の極みであります。



 *



大磯を歩いた日は
光の具合が良く、
光と影の織りなす様を楽しむ事ができました。

何気ない風景、
たとえ写真を撮るには至らない風景でも、
季節や時間の移ろいで、
何かしら素敵な光景に出合うことがあります。
そうし光景との出会いは正に「一期一会」、
出会いを求めて小道を彷徨うのは楽しいもです。

「大磯」、
何度も足を運び、
自分なりに出会う光景を咀嚼して、
私なりの写真としての塊を作ってみたいと思いました。













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鳥居 [旅景]





 大磯散歩 その四  「鳥居」 




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〔01〕












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〔02〕












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〔03〕












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〔04〕



九月二十一日(土) 撮影



大磯の町と太平洋を眺めた後、
僅かに翳りはじめた午後の陽射しを浴びながら、
心地よく坂道を下りました。

平坦な道を歩き始めた時、
右手に小さな神社の前に差し掛かり、
白い石造りの鳥居が目に止まりました。
左方向から光が差し込み、
木立の陰影に鳥居が白く浮かび上がっていました。
鳥居の先にある神域に心惹かれましたが、
深入りすると時間がなくなるので自重しました。


しばらく歩くと、
今度は小さな祠に辿りつきました。
社殿などなく、
少々荒れた空間ですが、
祠の右手には異形な姿の大木が立っていました。
祠の前の木の鳥居、
何と言うことのない鳥居ですが、
注連縄の一端に差し込む光に惹かれました。


この日は神社で神垂を見ることが出来ませんでした。

旅先でも、
神社仏閣に立ち寄り、
普段と同じ写真を撮るのが私の楽しみであります。
次に大磯を訪ねる時には、
十分な時間を持って神社仏閣へも足を運びたいと思います。







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眺望 [旅景]




 大磯散歩 その三  「眺望」




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〔01〕












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〔02〕












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〔03〕


九月二十一日(土) 撮影


坂道を上り切ったのではないと思いますが、
眺望を得る所に辿り着き、
坂道を背にして大磯という町と太平洋の海原を見下ろします。


時は午後三時頃でしょうか、
日本地図に大磯という地を頭の中に思い浮かべ、
太陽の方向を自分なりに読み解きその風景を眺めます。

家々の屋根の輝きと、
海原の輝きが目を惹きます。
海原の遠くを注視すれば、
小田原当たりでしょうか、
海の向こう側へ回り込んだ陸地にも、、
建物の輝きが二つ、三つ見る事ができました。

海岸線に沿う松並木が、
旧東海道の道筋を表します。
また、山側には平行して国道1号線があり、
往来を見る事が出来ます。
しばしこうした景色を眺めていたら、
丁度東海道本線を走る列車の音が聞こえました。


秋を感じさせるが心地よい風が緩やかに吹いていました。
限られた短い時間で、
本来ゆとりのない散歩のはずですが、
何故だか時間は緩やかに流れていくように感じました。








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道草 [旅景]





 大磯散歩 その二  「道草」




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〔01〕












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〔02〕



九月二十一日(土) 撮影


駅裏の急傾斜地に、
へばりつくように家が建ち、
そこを縫うように這う道は、
綴れ折り坂道。

その坂道の上り始めて間もなく、
古い一軒の日本家屋があり、
門に「喫茶」との立札がありました。


喫茶、
住宅地の中の思いがけない存在に、
多少戸惑いながらも、
案内人に誘われるまま玄関に向かいます。

玄関で足元を落とせば、
細石の洗い出しが出迎えてくれます。
左官職人の仕事の上に立てば、
長旅の足裏を癒します。

玄関を上がり喫茶室へ。
そこは和室で畳が敷かれています。
部屋には自然光が柔らかく届き、
仄かな空間がありました。

卓に向かい座して庭に目をやれば、
古いガラスに揺らぐ景色が映ります。
更にその先へ目をやれば、
遠くに小さく海を見ることができます。
景色の中に埋もれるほどに小さな海は、
見る者の心がそこへ向かないと、
海の様子を窺い知ることができません。
空を映す色や風に立つ波濤などは、
目にしただけでは感じ取ることが出来ず、
各々が持ち合わせた海の想いから浮かび上がる映像がそこに浮かび上がります。


しばらくは、
外の景色に目を奪われていましたが、
一度室内へと目をやれば、
落ち着いた色合いの調度に、
旅の途中であることを忘れさせる空間があることに気が付きます。
庭と対峙する床の間に、
足が長く屈折した自然光が届き、
一幅の軸が仄かに浮かび上がっていました。
その表装の色合いに目が止まり
読み解くことの出来ない所にしばし心を奪われました。
こうした出会いは旅の印象に深く刻み込まれます。


一杯の珈琲を頂き、
喫茶を後にする間際、
薄暗い玄関で靴を履き上方に目をやれば、
我が三歳の娘に買い与えた蕎麦猪口と同じ絵柄が、
照明のシェードに描かれていて、
益々この喫茶が身近に感じたのでした。



    *



予期せぬ喫茶との出会い、
脳裏に焼き付いた光景など多々ありますが、
その空間の雰囲気に浸り、
写真に撮ることが出来ませんでした。

大磯という地を、
心の中で再訪を誓っていますが、
その節には、
きっとこの喫茶へ足を運ぶことでしょう。


三時間と限られた時間の中での道草、
より多くの場所を尋ねるには、
一見無駄な時間のようにも思われますが、
素晴らしい時間を与えて頂きました。
道草は、
何と言うことのない散歩に、
一つの潤いを与えてくれるものであります。










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