五月 [歩景]
〔01〕
神社仏閣へ足を運ぶのはしばらく振りで、
写真を撮る感覚が鈍っている。
こうした時はとりあえず何でも良いのでシャッターを切るようにしている。
シャッターを押すことで感覚が戻ってくることがある。
〔02〕
太陽は頭上高いところにあり、
光が真上から降りてくる感覚。
背の高い杉はこの神社の神木。
その木を見上げると雲が早く流れ、
目まぐるしく空の表情が変わっていく。
陰影深いので白い雲の中に神木を影にして配置。
私的にはとても気持ちの良く好きな写真。
〔03〕
光と影、
白と黒、
明暗差大きく、
必然の写真。
〔04〕
太陽に杉の枝先が溶けている。
〔05〕
陰影深過ぎる。
〔06〕
手水社の水鉢、
いつも撮る水の姿。
読み切れないその形に心惹かれる。
〔07〕
拝殿の彫刻。
多くを記事に配したが、
実際には光が足らず手ぶれで駄作写真を多作。
〔08〕
薄暗い中、
彫り物に浮かび上がる木目。
〔09〕
人の顔。
困窮しているようにも見えるその表情は何を表現しているのか。
〔10〕
影は陰影の深さを表す。
〔11〕
生き物たちの表現は、
現実とは離れているが、
動きのあるその姿に目を惹かれる。
〔12〕
少し離れた由緒ある神社へ。
並ぶ石柱は奥行きがあるので、
軸上に建ち眺めるのが習性。
〔13〕
石柱の列。
その間を漏れる光と影、
いつも見かけては撮っている。
それでも写真に撮れば何かが見つかる。
そう信じて撮っているが、
なかなか傑作は生まれない。
〔14〕
遅れて咲くは八重桜。
枝先で咲いている花より、
その落ちた花びらを撮るのが好み。
〔15〕
水面に浮く花びら。
〔16〕
桜散華して、
花咲く池の水面。
池の背面にある石垣を配し広がりを感じる空間が好きで、
行く度に撮ってしまう場所。
空が映り込んだ部分だけを切り取っても良かったと、
後になって思う。
〔17〕
これまた少し離れた寺院へ移動。
八重桜の花は色濃く、
風に吹き寄せられ一層その色を深める。
〔18〕
空模様が怪しくなり雨の気配を感じる。
無防備で出掛けてしまったので、
そう感じてしまうと落ち着いて写真を撮る事が出来ない。
時間に余裕のない撮り歩きのため、
雨に降られて雨宿りする余裕を持たず。
車を停めた駐車場へ足を速める途中、
これまた何度か撮ってる空き家の玄関先。
五月三日(木) 撮影
五月三日、
連休も中盤を過ぎて残すところあと三日。
中盤は天気がはっきりとしない予報だったので家に居ようと決めて居たのですが、
この日は午後から晴れ間が差したので慌ててカメラを持って出掛けました。
神社仏閣へ足を運ぶのは三月十一日に善光寺を訪れて以来のこと。
すっかり冬の余韻はなく、
新しい季節の中で目にする光景に、
少々戸惑いながらも写真を撮ってきました。
感覚が少し鈍っていた上、
光の具合が好みでなかったことが重なり、
思うように写真を撮る事が出来ませんでした。
この五月のやさしい光というか、
和らいだ空気に心も緩み、
写真を撮る気持ちに至りません。
写真を撮る感覚が薄らいでいるとき、
とにかく何でも良いのでカメラを向けてシャッターを押す、
そうした行為を最近試みるようになりました。
しばらく写真から離れていたときには、
こうした機能回復訓練のような行為が役に立つことを見つけ出しました。
久しぶりに文章を書いてみようかと挑みましたが、
書いている内に嫌になってきました。
新たな言葉も浮かび上がりません。
ここで筆を止めると更新がまた遅れるので、
まとまらない文章でありますが更新いたします。
写真以前に他の機能回復訓練を試みた方が良さそうな今日この頃であります。