蒼朝 [冬景]
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一月二十七日(木) 撮影
この朝、
雪が降っていました。
小休止していた雪が再び舞い戻ってきたので、
飽きもせずこうして出勤途中の車の中ら写真を撮りました。
自分の心模様が写されているのか、
ただ単に天候状況に魅せられ撮らされているのか
自分でもよくわかりませんが、
自分でもよくわかりませんが、
こうしてただ写真を撮るだけの日々が続いています。
*
十三枚も羅列するなとお叱りを受けそうな気がしますが、
これでも撮った写真の半分ほど切り捨てました。
通勤途中の様々な場面と雪の降り具合など、
ご覧いただきたいと思います。
*
十三枚も羅列するなとお叱りを受けそうな気がしますが、
これでも撮った写真の半分ほど切り捨てました。
通勤途中の様々な場面と雪の降り具合など、
ご覧いただきたいと思います。
夜燈 [冬景]
〔01〕
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〔03〕
〔04〕
一月二十四日(月) 撮影
天候と雪による道路事情を踏まえ、
この日はいつもとは違う帰路に着きました。
よく知った道ではありますが、
仕事帰りにこの道を通るのは久し振りで、
雪道と天候の具合もあり何やら新たな気持ちで窓の外を見ていました。
この写真を撮った頃は毎日雪が降っていた時期、
雪道の運転にも飽き飽きしていた頃、
その上日々同じような写真と撮るばかりで目新しさもなく、
自分で撮る写真にも飽きていました。
ブログの記事もここしばらく同じような写真ばかり続いているので、
枯渇した発想の中で少しだけ写真に変化を与えてみました。
小窓 [冬景]
〔01〕
〔02〕
一月二十四日(月) 撮影
仕事場の小さな窓から外の景色を覗くように眺めます。
その窓の一辺はほど三十センチ、
パソコン画面の映り込みを防ぐため光を遮断するため段ボールを貼り付けてあるので、
私以外の人はまずこの窓を開けて外を見る人はいません。
私はこの窓を間近に背負って仕事をしているので、
パソコンに向かいながらも空の様子が気になります。
こんな小さな窓ですが、
空の具合が良いとこの窓から何とか写真を撮ってやろうという気が起きます。
この冬の初雪の頃にもこの窓から雪景色を撮りました。
そして日々変化する雪の量や雪質と造形、
そして天候や光の具合に染められる雪の色、
あれから一月半ほどの間毎日そうした雪の姿を見つめてきました。
この朝は気温が低く前夜に降った新雪が朝陽を浴び、
寒々とした中にも暖かな色味を帯びた雪景色を見ることが出来ました。
残念ながら雪肌や起伏の美しさは他で得る程ではありませんが、
そっとこの朝の雪景色を切り取りました。
この小窓から見る雪景色、
実はこの一冬限りの事ですから得られる写真の質は悪くても、
私にとってはこれはこれで貴重な写真なのです。
寒陽 [冬景]
〔01〕
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〔04〕
〔05〕
一月二十四日(月) 撮影
この朝冷え込みました。
通勤車両のフロントガラス越しに、
その寒さを感じる日の出を見ました。
相変わらず日常の傍らで撮った写真、
車中からの撮影のため、
撮影には制約を受け自由撮ることが出来ません。
それでもいろいろ思考しながら撮影しています。
そんな撮影でも楽しいものです。
写真 [冬景]
〔01〕
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〔03〕
〔04〕
〔05〕
一月二十二日(土) 撮影
朝出勤するために車に乗り込む。
冬の車内は冷え切っている。
その冷たさに緊張感を強いられる瞬間。
その緊張感は嫌いではない。
こうして車に乗り込んで見る目の前の風景は、
毎日目にしていて見飽きた映像で、
その時点では何の感慨も沸かない事もあるのだが、
季節と時間と気象によるちょっとした光の具合で、
時にフロントガラスに心惹く映像が浮かび上がる。
そうした朝にほんの数十秒の余裕を心に持てば、
カメラを取り出し自分の思いを写真に撮ることが出来る。
さして感慨深いない事かも知れないが、
こうして写真を撮ることで、
その時々の感情を記録することが出来る。
自分でも認識していない心の浮き沈みを、
目にするありふれた光景を撮影する、
その記録の積み重ねの中に自分の心を伺い知る事が出来る。
また、その積み重ねで何かを伺い知ることが出来る。
そこから何かが生まれ、
その記録の積み重ねの中に自分の心を伺い知る事が出来る。
また、その積み重ねで何かを伺い知ることが出来る。
そこから何かが生まれ、
何かを得ることが出来る。
写真を撮る行為は時に言葉や思考を超える事がある。
そうあって欲しいと思いながら今日もありふれた写真を撮る。
偶然 [冬景]
〔01〕
〔02〕
〔03〕
一月二十日(金) 撮影
前記事の写真と一緒に撮った写真です。
ただ氷柱の先から滴が落ちる様を撮っただけです。
特別形がきれいだとか写真にとるほど長いとか、
何かに心惹かれて撮った写真ではありません。
記事にしようと思った理由が二つあります。
まず一つ目は単純に三枚撮った写真ですが、
撮った順に並べたてみたら偶然にも滴が落ちる順序になったこと、
そしてもう一つは、三枚の写真は撮る度に焦点を合わせる必要があるため、
焦点を合わせてはフレーミングし直したにも関わらず、
三枚ともほぼ同じ構図になっていること。
二つの偶然が重なっていたことに気付いたのです。
今日はただそれだけの写真です。
*
昨日の日曜、
雪を楽しもうとあることを考えていたので、
天気も良く張り切って自宅の裏に出て作業を始めたのですが、
数日前から気温が上昇し雪質が悪化していて、
一瞬のうちに気合いが消沈しました。
実は雪だるま、雪灯籠を作ろうと思っていたのですが、
粗目雪では雪だるまを作ることは出来ません。
せめて雪灯籠を作ろうと気持ちを切り替えましたが、
こちらもなかなか上手く行きません。
雪灯籠を作るのも初めてなので今回は試験的な製作のみ、
規模を縮小して作って終わりました。
新たな雪が積もり思うように雪が固まってくれるようであれば再度挑戦したいと思います。
冴えた灯籠、写真ではありませんが、
事前に公表したした手前もあり写真を載せておきます。
〔04〕
〔05〕
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〔07〕
二月六日(日) 撮影
思うように作ることが出来ず、
出来の悪い雪灯籠でしたが思い出にはなりました。
今後もこの企画は続けて行きたいと思います。
暖解 [冬景]
〔00〕
この写真には語ることはなし。
ただ私的な思い入れがあるだけの事。
〔01〕
朝、仕事場に着き車から降りると、
空の雲が解れ青空が顔をのぞかせていました。
〔02〕
すっかり雪雲が解けた訳ではなく、
どこからか風に乗ってひらひらと雪が降って来ます。
〔03〕
晴れた空を背景に雪の積もった枝先を見上げます。
〔04〕
久し振りに見る青空でしたが、
この後また雪雲が空を覆い、
冬の空に戻りました。
一月二十日(木) 撮影
仕事場に着き車を降りてから僅かな時間に撮った写真です。
切り取り方で空の様子が違うのは僅かに雲が解れたからで、
カメラを向ける方向で空の印象は大きく違ってきます。
今年の一月は中旬からよく雪が降りました。
結構連続して降りましたので正直に言うと、
雪国に五十年近く住んでいる私でも途中嫌気が差しました。
したがって僅かな時間でもこうして青空が出ると、
冷え切っていた心が暖かく解れる思いがしました。
以前こんな話を聞いたことがあります。
ある新婚の夫婦が雪国に夫の転勤で引っ越してきましたが、
来る日も来る日も空から雪が降ってくる、
若い奥さんは日中一人で家にいる寂しさに、
毎日雪が降るその様が重なり、
ついに精神に異常を来し実家に帰ったと。
雪は時に人の心を病にまで追い込むもの、
辛く長い冬をただひたすら二堪え忍ぶ雪国の人々は、
我慢強いと言われるのが良く分かります。
*
今日の写真は〔02〕から撮影順に並べただけです。
〔01〕と〔05〕は単に露出が違うだけで、
〔01〕は必要なかったのですが、
暗く微妙な色具合が好きなので無理矢理冒頭に入れ込みました。
日々こうした写真しか撮っていないので、
写真の不出来、記事の不出来は少々寛容に見て頂けると幸いです。
冬朝 [冬景]
〔01〕
〔02〕
〔03〕
〔04〕
〔05〕
一月十六日(日) 撮影
一夜に五十センチの雪が降った日の朝、
目覚めに外を眺めればこのような様子。
仄かな雪明かりに冷たい雪景色が、
暗い部屋の窓に浮かび上がります。
覚悟はしていたものの、
雪の量を見て暗くなりそうな心も、
こうした景色を美しいと感じ取ることで、
少しは救われる思いがします。
*
撮影日が遡り、
三時間の除雪をした日の朝に撮影した写真です。
一旦没としましたが、
雪国の生活を少しでもご覧いただこうと思い記事としました。
そのような趣旨を貫くならもっと進んで様々な写真を撮るべきですが、
写真を撮りに出掛ける事を許されない事情を持つ現状では、
こうして日常生活の傍らに撮影するのが精一杯の取り組みです。